牧師の務めにおいて最も大切なもの、それは「神のみことばの説き明かし」としての説教です。宗教改革の教会が牧師を「神の言葉の仕え人」と呼んだのもその本質と捉えたものでした。実際に日曜日が終わると次の日曜の説教のことを考え始めますし、次の説教計画をどうするかは絶えず心にあるものです。

多磨教会での一年は、間島先生の御用を引き継いでマルコ13章から16章、その後は「私たちの信仰」シリーズ全14回、その他教会暦の説教や歓迎礼拝の伝道説教などでした。そして今日から朝の礼拝ではエペソ書の連続講解説教が始まります。  

エペソ書は個人的にも深い思い入れのある書物です。今から33年前、25歳の時に西大寺キリスト教会・東岡山伝道所(現東岡山キリスト教会)で初めて取り組んだ講解説教なのでした。当時の説教準備で一番お世話になったのが、榊原康夫先生の『エペソ人への手紙』上下二冊でした。釈義ノートのような内容に必死に食らいつきながら、毎週土曜日はほぼ徹夜で説教準備をしたのを思い出します。1章1節からはじめて3年かかって6章の終わりまで行き着かずに終わるという、中途半端で青臭く、いかにも生煮えの「食えない」説教だったと、今となっては振り返るのも恥ずかしいと思いますが、それでも一所懸命に耳を傾けてくださった愛する方々がおり、自分も当時の自分でできる精一杯を尽くしたのも事実で、それはそれで大事な歴史だと受け取っています。  

あれから30年あまりを過ぎ、再びエペソ書に取り組むということでモチベーションは上がっていますが、さてどうなることか。でもとにかく毎週、説教の務めにお仕えできるのはまことに光栄なことです。今回は新しい注解書も数冊揃えて備えています。初心にかえって励む所存です。みことばの準備に祈りつつ打ち込めるよう、皆さんのお祈りをよろしくお願いします。