牧師の主たる務めを「牧会」と呼びます。カトリック教会では「司牧」とも呼ばれます。羊飼いなる主イエス・キリストが御自分の羊たちを養い、守り、導いてくださる。この良き牧者の務めにあずかるのが「牧会」です。英語では「パストラル・ケア」と言います。「ケアする」は医療や福祉、心理学で使われることの多い言葉です。介護をする、世話をする、援助をする。またドイツ語では「ゼールゾルゲ」、「魂の配慮」と言います。そこでの「魂」は人間存在の全体を意味しています。
こうしてみると「牧会」は霊的・精神的・身体的な諸側面を含んだトータルな務めであることが分かります。そしてこのような「牧会」の務めが集中的に現れる局面が、人のいのちと死に関わる事柄とりわけ「看取りと葬り」にあると思います。
私自身もこれまでの牧会生活で幾人もの方々の最期の看取りと葬儀を行ってきましたが、その一つ一つが貴重な出来事として深く心に刻まれています。伝道師時代は主任牧師の後について最後の看取りの機会に立ち会うことが多く、病室で、臨終の床で、そして枕頭の祈りを献げる場で、牧師がご本人を前にどのように振る舞い、遺族に対してどのように配慮するかを主任牧師の言葉や振る舞いから学ぶ貴重な時でした。やがて一つの群れを牧するようになり、その時の経験が生かされました。因習の深い地方教会で地域の方々や親戚縁者のほとんどが初めてのキリスト教葬儀というプレッシャーの中、教会が冠婚葬祭をキチンと執り行うことで証しを立てることになるのを学びました。その後も遣わされた地でいくつもの忘れられない葬儀がありました。多磨教会での奉仕も葬儀から始まりました。この度のY兄の病床洗礼と看取りもまことに厳粛な、そして主の平安に包まれた出来事でした。