5月も半ばを折り返し、後半に進んでいます。来週にはペンテコステ礼拝、そして6月には今年度第1回の歓迎礼拝を控えています。福音の喜びをしっかりと受け取り、喜びに満たされて新しい週の歩みへと送り出されてまいりましょう。愛する皆さんに主イエス・キリストの祝福を祈ります。
1.一番大事なこと
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」。この神への賛美をもってこの手紙を書き始めたパウロは、今日から始まる15節以下で神への祈りをささげ始めます。それはまず感謝の祈り、次いで願いの祈りへと進みます。15節、16節。「こういうわけで私も、主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒たちに対する愛を聞いているので、祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています」。
手紙でも、そしてこの礼拝の説教でも、手紙の書き手、説教の語り手には伝えたいことがあります。そしてその一番伝えたいメッセージをどこで、どのように書き、伝えるかを考えます。一番最初に一番伝えたいことを書くという仕方もありますし、一番伝えたいことは一番最後に書くということもあるでしょう。私は説教者ですので説教のことで考えてみると、20代から30代終わり頃までは、一番伝えたいことは一番最後に言いたいという説教でした。しかし様々な経験を重ね、失敗や反省を繰り返す中で次第に説教についての考えも変化していき、40代になった頃からもっとシンプルな説教をしようと決心しました。そして一番伝えたいことは一番最初に言う、そんな説教に変化していきました。最初に一番伝えたいことを言い、それがなぜかを説き明かし、最後にもう一度、一番伝えたいことを言う。多磨教会でもまた一から始めるつもりで毎週の礼拝説教に臨んでいますが、基本的にはこのかたちで始まっています。今後どう変化していくか分かりませんが、生きた礼拝の営みの中で、主にある皆さんとの交わりの中で、神さまが今、この多磨教会にどのように語ろうとなさっているか、それに聴き従いながら進んでいきたいと願っているところです。
ではパウロ先生はどうだろうか。エペソ書を読んでいると、パウロも一番伝えたいことを一番最初に書くタイプのように思われます。まず神への賛美がありました。次に神への感謝がある。「あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています」と。主イエス・キリストを信じ、教会への一人ひとりへの愛に生きている。そういうエペソの教会の一人ひとりの姿を思い浮かべて、「あなたがたのことを思い、絶えず感謝している」。「感謝することをやめないでいる」というのです。そしてこの感謝の祈りに導かれながら、この手紙での一番大切なメッセージが、主なる神に祈り求める願いという仕方で示されるのです。
2.三位一体の神への三つの祈り
パウロが主なる神に祈り求める願いとは何か。それが17節から19節に記されます。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。またあなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」。
この祈りの「かたち」を一言で言えば「三位一体の神への、三つの祈り」、この祈りの「こころ」を一言で言えば「三位一体の神を知ることができるように」との祈りと言えるでしょう。ここでも「三つ」が繰り返されています。ここでパウロが祈り求める三つの願いの第一は、「神の召しにより与えられる望み」、つまり「救いが与える希望とは何か」を知ることができるようにとの祈り、第二が「聖徒たちが受け継ぐもの」、つまり「救いが与える祝福とは何か」を知ることができるようにとの祈り、そして第三が「神の大能の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力」、すなわち「救いが与える力とは何か」を知ることができるように、との祈りです。救いが与えてくれる希望、祝福、そして力。これを知ることができるように。そのための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださるように、と祈っているのです。
これらの願いのうち、ここでもっとも強調されるのは三つ目の「力」です。19節。「神の大能の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」。エペソ書の学びの始まりに、この手紙はスケールの大きな表現が数多く現れると申し上げました。「人知をはるかに超えたキリストの愛」などはその代表格ですが、この19節もすごいことばです。他の訳でも読んでみます。まずはカトリック教会のフランシスコ会訳ではこうです。「神の力強い威力ある働きかけに従って、信仰をもつわたしたちに及ぼされる力が、どれほど偉大なものであるか」、岩波訳ではこうです。「神の力のどれほど超絶した絶大さが、その強靱さの持つ剛力の働きに応じて、私たち信じる者に作用しているのか」、直訳風に言うとこうなります。「神の力強い力の働きによる、私たち信じる者のための神の力の絶大さ」。つまりくどいぐらいに「力強い」、「力」、「神の力」、「力の働き」、「力の絶大さ」を重ねて重ねて強調しながら語る。畳みかけるようにしながら、これでもか、これでもか、というぐらいに力を込めて語る。手紙を口述筆記しながら熱く語るパウロの姿が目に浮かんでくるようです。
今回のエペソ書の説教準備のために、毎回必ず読む参考書が7~8冊あるのですが、その中の一つに、日本イエス・キリスト教団の牧師で、関西聖書神学校校長の鎌野直人先生のエペソ書の説教集があります。エペソ書全体を11回で説くという、ボリュームとしては小さい方の部類に入る説教集なのですが、コンパクトながら内容の把握が実に的確で、教えられるところの多いものです。その説教集のタイトルが『神の大能の力の働き』。つまり1章19節から取られている。そして鎌野先生はエペソ書全体がこの19節を中心に書かれていると言われます。すなわち1章から3章で「神の大能の力の働き」が私たちにどのように現されたかが記され、4章から6章で「神の大能の力の働き」によって私たちはどのように生きるのかが語られていると。これは大変優れた洞察であると言えるでしょう。このようにして働く神の大いなる力を、どうにかして知ってほしい。それがここでのパウロの祈りの中心にある願いなのです。
3.はっきり見えるように
私たちも、ここでのパウロのことばから伝わってくる息づかい、そこに込められた思いをよく受け取りたいと思うのです。しかし同時にこうしたことばを読むときに、教えることの限界、伝えることの限界ということも思わざるを得ません。「人知をはるかに超えたキリストの愛」についても言えることですが、ここでは神さまのことを語る人間のことばの限界があるのです。これは毎週の礼拝の説教においても、私たちが経験していることと言えるでしょう。カール・バルトという神学者が「説教」についてこういう言葉を残しています。「私たちは説教者として神について語らなければならない。私たちは人間なので神について語ることができない。私たちはこの『語らなければならない』と『語ることができない』という二つのことによって神に栄光を帰さなければならない」。なかなか難しいことばですが、大事なことは「だから無理」、「だから語らない」というのではなく、この不可能さを超えて「生ける神が語られる」という神の御業にあずかっていくということでしょう。
パウロのことばを聞いていると、そういう力強さを感じます。ローマ書でもコリント書でもガラテヤ書でも、そしてこのエペソ書でも。しかもそこにあるのは「喜び」です。竹森満佐一先生の説教にこんな言葉があります。「信仰のことは、言葉にあらわすと、はがゆいほどにもどかしいことでありましょう。しかもそれを何とか言おうとするところに、喜びがあったのかも知れません」。確かにそうだと思います。ことばでは言い表しきれない、表現し尽くせない、そして伝えきれないほどのことを、それでも何とかして、ことばにして、伝えたい。パウロの祈り願いにあるのはそういう情熱です。
ではどうしたらこの神がくださる希望、祝福、そして神の力を伝えることができ、知ることができるか。説教者の言葉の巧みさ、説教の上手さに掛かっていますと言われたら、誰も語れなくなるでしょう。聴き手の聴き方次第、理解力次第ですと言われたら、それまた私たちは誰がそれを知り得るだろうかと思います。しかし大事なことをパウロはここに記しています。17節。「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。またあなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」。
そうです。大事なことは「心の目がはっきり見えるようになる」こと、「あなたがたの心の目が照らされ」ることだと。「私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊」によって私たちの心を照らしてくださるとき、私たちの心の目が開かれて、神のくださる希望、祝福、そして力をはっきりと見ることができるのです。私が毎週説教前に祈る祈りに注意深く心を合わせていただきたい。そこではこう祈ります。「今、私たちはあなたの生けるみことばに聴こうとしています。どうか聖霊の神さまが私たちの暗き心を照らしてくださって、あなたのみこころを明らかに示し、示されたみこころに喜んでお従いできるよう信仰を与えてください」。
この祈りは必須の祈りです。私たちには助け主の聖霊が必要であり、聖霊によって暗き心を照らしていただくことが必要なのです。それとともに聖霊が働いてくださるとき、神さまのことがちゃんと分かる。救いの希望が、救いの祝福が、そして神の大能の力がちゃんと分かるのです。来たる主日、私たちはペンテコステを迎えます。あらためて聖霊を待ち望みましょう。私たちの心の目が開かれ、神の真理がはっきりと見えるように、聖霊によって照らしていただきましょう。