かつて日本の教会では「日曜学校」、「大人の礼拝」、「母子室」などという言葉が日常的に使われていました。「かつて」と書きましたが「今も」とも言えかもしれません。やがて「日曜学校」は「教会学校」と呼ばれるようになりました。「日曜学校」運動は19世紀の英国でロバート・レイクスによって始められました。貧困を主な理由として過酷な児童労働に駆り出されて、教育の機会が与えられずにいた子どもたちのために、教会で公教育の代わりとなるようなプログラムを提供し始めたのがルーツです。
日本でも明治以来「日曜学校運動」は大きな働きを果たしましたが、その後、一般教育以上にの「信仰の教育」を中心に据えた教会学校へと変化していきました。今では教会毎に呼び名や持ち方は様々ですが、多磨教会の教会学校は「サンデーチャペル」と呼ばれるように、礼拝の場である事を重んじて来たのだと思います。
このことはCSが「子どもの礼拝」で、それと別に「大人の礼拝」があることを意味するわけではないでしょう。従来の「大人の礼拝」という呼称にはこうした区別が前提されていますし、礼拝の中で子どもたちが意識されることはあまりありませんでした。ですから今でも子どもたちは最初から別室で遊んだり、礼拝の途中で移動したり、礼拝中に子どもたちのケアをする奉仕者が別に立てられたりする教会もあります。
しかし本来の礼拝の姿は旧約以来、大人も子どもも老いも若きも皆が「神の民」としてこぞって主の御前に出るものでした。そこには「大人の礼拝」も「子どもの礼拝」もなく、神の民の礼拝があったのです。そうであれば礼拝に子どもたちが一緒に礼拝の場にいることは自然であり、祝福です。この点を次回以降、もう少し考えてみたいと思います。