パウロはエペソ教会に書き送った手紙で「祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています」(1:16)と記しています。「思う」は「覚える」とも訳せる言葉で「覚えて祈っている」というのです。しかもこの「覚える」は「メモを取る」というニュアンスがあるとも言われます。私たちもしばしば「覚えて祈っています」と言いますが、パウロの言葉から伝わってくるのは、実際に祈りのメモ帳を開き、祈りの課題を書き込み、それをいつも手もとに置いて一つ一つ祈りの課題を覚えて祈る、そんな祈りの人の姿です。
このみことばを読むと思い出すのが、20代の頃にお仕えしていた小さな伝道所におられ、数年前に天に召された長老さんです。この方は文字通り「覚えて祈る」方でした。当時、祈祷会や早天祈祷会では教会の祈りの課題を一つずつ小さなカードにし、それを配って祈っていました。祈り終わると裏に小さく日付けを書き込み、その祈りが聞き届けられるまで、日付けが記入され続け、書くところがなくなると新しいカードに引き継がれる。そんな祈りのカードを数十枚用いての祈祷会です。何年も祈り続けるカードもあります。それをずっと覚えて祈り続けるのがこの長老さんでした。祈りのリクエストをした人が忘れても、祈っている人は忘れない。そんな祈りの姿を教えられたのです。
「祈りの家」なる教会として、覚えて祈る姿勢を身に着けたいものです。祈祷会でも日々の祈りでも覚えて祈り続けたいと思います。教団「祈りのネットワーク」も多磨では今回から注文制をやめて教会員の皆さんに一冊ずつお配りするようにしました。これも「覚えて祈る」大事な道具です。ぜひ大いに用いましょう。