新しい年、2026年の歩みも一ヶ月が立ち、1月第四の主日を迎えました。先週の新年聖会の主日ではいずみ教会の皆さんとともに、今年、私たちの教会に与えられたエペソ書のみことばにご一緒に聴きました。あらためて主のみことばに導かれる羊たちの群れとして、ともに心一つに進んでいきたいと願っています。今朝も愛する皆さんの上に主の豊かな祝福がありますように。
1.神の御子イエス・キリストのみわざ
『私たちの信仰』というシリーズでみことばに聴き続けています。今日はそのような私たちの救いのために神の御子イエス・キリストが成し遂げてくださったみわざについて学びます。ここで少しこれまでの学びを整理しておきましょう。
まず最初に聖書について、旧新約66巻の聖書が「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るため」に書かれた書物であることを学びました。次に聖書の語る生ける神が、私たちに向かって語りかけてくださるお方であること、その語りかけは「わたしはあなたを愛する」という究極の愛の語りかけであること、そしてその語りかけのことばが肉体をとってこの地上に来られたのが「ことばが人となられた」イエス・キリストであることを学びました。そしてクリスマスの時期に、私たちを愛してくださる神は、私たちとともにいてくださるインマヌエルの神であられること、その神の愛の語りかけが姿かたちをとって来られた神の御子イエス・キリストのへりくだりのお姿を学び、その神によって愛され、生かされ、尊くかけがえない存在として造られた私たち人間の本来の姿と、そこから罪に陥った人間の罪と悲惨の姿について学んできたわけです。
こうして、少し順序からすると前後しましたが、聖書、神、人間、そしてキリストというところまで進んで来ました。この先はキリストの救い、教会、そして終わりの事柄について扱って3月末でこのシリーズを区切る予定です。そこで今日の主題ですが、先ほど申し上げたように、イエス・キリストがいかなるお方かということについては、「神のことばの受肉」、「神が人となられたお方」、そして「インマヌエルなるお方」であると学んできたとおりです。その上で今日は、このイエス・キリストは何をしてくださったお方なのか、イエス・キリストのみわざとは何かということを考えます。そしてこれが私たちが信じている福音の中心にあるもので、その意味では今日のテーマは「福音とは何か」と言い換えることもできるでしょう。
2.福音とは何か
そこで今朝与えられているⅠコリント15章1節、2節を読みます。「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。私がどのようなことばで福音を宣べ伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます」。
これは使徒パウロがコリントの教会に書き送った言葉ですが、15章でパウロは「福音」という言葉を繰り返します。「福音」とは「良い知らせ」、「喜ばしい知らせ」ということです。パウロはこれを「私があなたがたに宣べ伝えた福音」と言います。まず福音は宣べ伝えられてこその福音だというのです。考えてみれば当然のことです。良い知らせは伝えられなければ広がりません。せっかくの良い知らせであっても、それがただそこに留め置かれたのでは誰にも届きません。パウロは福音のために召され、当時の地中海世界を巡り歩きながら福音を宣べ伝えました。まさに福音を伝える「伝道者」でした。福音とはまず宣べ伝えられるものなのです。これは私たちの教会への大きなチャレンジでもあるでしょう。
次にパウロは「あなたがたはその福音を受け入れ」たと言います。宣べ伝えられた福音を、私たちは受け入れた。そのしるしが洗礼です。そしてそれによって私たちはキリスト者となったのです。ヨハネ福音書1章12節にこうある通りです。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」。さらにパウロはこうも言います。「あなたがたは・・・その福音によって立っている」。福音を受け入れて終わり、というのでなく、その福音によって立っている。福音が人生の土台となり、支えとなり、拠り所となっているというのです。ここに私たちが「私たちの信仰」ということで御言葉を学ぶ意味があります。私たちが信じていることをこうして改めて確認し、繰り返し確認すること。それが私たちの信仰の成熟に繋がるのであり、そしてまた証しの生活、伝道へと繋がるのです。
3.最も大切なこと
こうして私たちに宣べ伝えられ、私たちが受け入れ、よって立っている福音の中身は何でしょうか。これこそが今回のテーマである「イエス・キリストが何をなさったか」に答えるものです。3節から5節。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです」。ここには私たちが受け入れ、よって立っている福音の中身が「最も大切なこと」と言われます。
「最も大切なこと」ですから、これはしっかりと心に刻んでおきたいと思います。もう一度読みます。「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです」。ここに記されているのは、主イエス・キリストの十字架の死、葬り、そして三日目の復活、そしてその後の弟子たちへの顕現といった出来事です。あの二千年前に主イエス・キリストが成し遂げられたこれらの御業。これらが「最も大切なこと」であり、これらこそが私たちにとっての福音だというのです。
これは考えてみると大変不思議なことです。まず二千年も前の、私たちが生きていたわけでもない遠い昔に、行ったことがあるわけでもない遠い所で起こったこれらの出来事が、私たちにとっての福音だということ。またキリストが「私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと」という、およそよい知らせとはまったくほど遠い出来事が、私たちにとっての福音だということ。そして「聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたこと」という、まったく信じがたい死からのよみがえりという出来事が、私たちにとっての福音だということです。しかしこれら主イエス・キリストが成し遂げられた事柄が、私たちにとっての良い知らせ、喜ばしい知らせとしての「福音」であり、私たちに伝えられた「最も大切なこと」なのです。
このような主イエス・キリストの出来事を信じることができるのは、私たちの信心深さや特別な知識のゆえではありません。まさに主イエス・キリストの為された御業そのものが私たちのもとに差し出され、聖霊の恵みと確かな導きによって私たちにこれらを受け入れさせてくださったのです。それは皆さんお一人一人がイエスさまを信じたときのことを思い起こしてくだされば、よく分かることなのではないでしょうか。
4.主イエス・キリストの成し遂げられたこと
このように、Ⅰコリント15章でパウロが「最も大切なこと」と言っているのは、要するに主イエス・キリストの成し遂げられたことであり、それは私たちの罪のための十字架の死、葬り、復活、顕現という出来事でした。そしてこれらが今なお変わることなく福音の中心であり、信仰の核心です。そしてこの「最も大切なこと」は「私も受けたこと」だと言われます。パウロが自分で考え出したものでも、自分でそう思ったものということではありません。「これは最も大切なことだ」とパウロ自身もそう伝えられ、教えられ、受け入れたもので、それをパウロもコリント教会の人々に「これが最も大切なことだ」と教えているのです。こうして主の教会は長い歴史の中で主イエス・キリストの福音を受け取り、受け渡し、受け継いで来たのです。
私たちは毎月第一主日に聖餐式にあずかりますが、その時に朗読するⅠコリント11章23節にもこう記されます。「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました」。ここで「主から受けたことを、あなたがたに伝えた」というのも同様です。実際にはパウロはイエスさまから直接これらのことを教えられ、受け取ったわけではありません。最後の晩餐にあずかった十二弟子たちがこのことを次の人に伝え、それを受け取った人がまたそれを次の人に伝え、ということを繰り返しながら、でもそれを「主から受けた」と言う。ここに教会がイエスさまの福音を受け取り、受け渡し、受け継いで来た働きを見ることができるのです。
また礼拝ではともに「使徒信条」を告白します。「使徒信条」とはまさに聖書を通して主イエスから教えられて来た「最も大切なこと」を、教会が長い歴史の中で受け取り、受け渡してきた信仰の告白の言葉です。そこでも「主は聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白されています。またその後の歴史の中でも教会はイエスさまが成し遂げられた御業を聖書を通して教えられながら、それを受け取って自分たちの言葉で応答する信仰の告白の言葉を紡いで来ました。「ニカイア信条」も「ハイデルベルク信仰問答」もそうです。教会は聖書の御言葉を学ぶことはもちろんのこと、それに併せてこのような信仰の言葉も大切に学んで来ました。私が語るこの説教の背後にもそれらから教えられたものが多く詰まっています。
私たちはこの「最も大切なこと」をよく受け取り、宣べ伝えてまいりたいと思います。「最も大切なこと」とは「主イエス・キリストの成し遂げられたこと」。すなわち十字架の死、葬り、復活 顕現。これらを繰り返し心に刻み、信じ、告白し、宣べ伝えて歩んでまいりましょう。