今日は、子どもたちと一緒に神の御前に出て、子どもたちに神さまの祝福を祈り求める礼拝です。今日は教会学校・サンデーチャペルと合同の礼拝ですので、まずお友だちのみんなに聖書からお話をし、続けて皆さんにも今日の御言葉からのメッセージをお届けします。愛する子どもたち一人一人と主にある皆さんの上に、主の豊かな祝福がありますように。

1.イエスさまを目指して成長しよう

まず、この朝与えられている聖書のみことばをお読みします。エペソ人への手紙4章13節です。「私たちはみな、神に御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです」。

はじめに皆さんに一つ質問です。自分が生まれたときの大きさ、重さがどれくらいだったかきいたことがありますか?最初はみんなちっちゃかったはずです。私はうまれた時、3,960グラムだったそうです。もう一つ質問です。今はみんな、自分の身長と体重がどれくらいか知っていますか? 生まれてからこれまでの間で、ずいぶん大きくなりましたね。私は今、身長185センチ、体重は・・・ですが、もちろん最初からこんなに大きかったわけではありません。たくさんごはんを食べて(一日6回ぐらい)、よく寝て、よく遊んで、ちょっと勉強をして、そうして少しずつ大きくなりました。中学生ぐらいのころが一番背が伸びたと思います。

でもからだだけが大きくなればよいわけではありません。頭も成長します。いろいろなことを学び、いろいろな人に出会い、いろいろな考えに触れ、いろいろな経験をして、そうやって人は成長していきます。そこではスピードはひとそれぞれ、人と比べる必要はありません。早いとか遅いとか、うまいとか下手とか、人はいろいろと比べたがりますが、自分が昨日よりも今日、今日よりも明日へと成長するのです。

そして一番大事なことは、心が成長することです。神さまを愛する心、となり人を愛する心、平和を求める心、正しいことを行う心、罪を悲しみ憎む心、困っている人に寄り添い、助けを必要とする人に手を貸し、恐れを超える勇気を持つ心、そういう心をもつ人へと成長することです。そのためにはイエスさまが必要です。イエスさまを知ること、イエスさまに愛されていることを知ること、イエスさまがいつもみんなと一緒にいてくださることを信じること、そしてイエスさまと一緒に歩んでいくことです。その時に、僕たち私たちは、イエスさまの「満ち満ちた身丈にまで達する」のだと聖書は教えてくれています。イエスさまの身丈にまで達するというのはどういうことでしょう。 

2.イエスさまに似た者になる

私の家には子どもが三人います。男の子、女の子、そして男の子です。みんな背が高いのです。一番上の子どもは180センチぐらい、二番目の子どもは170センチ、三番目は183センチぐらい。二人の男の子にはこんな風に言っていました。「お父さんの背を抜いて、お父さんより大きくなったら、えらそうな口を聞いてもいいよ」。でもまだ先生の方が大きいのです。私たちは毎週教会に来てイエスさまを礼拝します。賛美を歌い、聖書のみことばを聴き、お祈りをし、イエスさまのことを知っていきます。そうやってイエスさまの身丈に届くように歩んでいます。ではいつかイエスさまに追いつけるでしょうか? そしてイエスさまを追い越せるでしょうか? イエスさまは神さまのひとり子ですから、私たちには到底追いつけるお方ではないのです。

でも、イエスさまに似た者になることはできます。イエスさまを知り、愛し、信じ続けていくことで、イエスさまが何を願っておられるか、何を望んでおられるか、何を喜んでおられるか、何を悲しまれるか、イエスさまのお考えになることが少しずつ分かってくるようになる。そしてイエスさまに似た者となり、イエスさまのお心を自分の心として生きる者へと変えられていくのです。そうやってついにはイエスさまの満ち満ちた身丈にまで達することができると聖書は教えます。

教会は、みんながイエスさまに近づいていくところです。いつもイエスさまのことをもっともっと知り、イエスさまのことをもっともっと愛し、イエスさまのことをもっともっと信じていく。そのためにイエスさまの語られたみことばを心にたくわえ、イエスさまとお祈りの中でお話をし、イエスさまといっしょに生きていく。今も、これからも、ずっとイエスさまと一緒に歩んでいくのです。

3.神に愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい

子どもたちとともに、私たちも神さまのみことばを受け取りましょう。今朝のみことばとセットで心に留めたいみことばが、同じエペソ書の5章1節です。「ですから、神に愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」。神に愛されている子どもとして、神に倣う者となっていく。これと同じようなことを、コロサイ書3章1節は次のようにも語ります。「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります」。

エペソ4章は成熟した大人になるようにと勧めました。成熟した大人とは、5章で言えば「神に倣う者になる」ということです。そしてこれをコロサイ書3章では「新しい人」と言っています。「古い人」という衣を脱ぎ捨てて、「新しい人」という上着を着る。子どもがどんどん大きくなる時期は、服も靴もあっというまに小さくなり、きつくなって大きくする必要があります。私たちもそうなのです。「自分はもう成長はしない。衰えるだけだ」と思います。出来なかったことが出来るようになっていった成長の時期を過ぎると、今度はピークを折り返して、かつて出来ていたことができなくなる。見えてみたものが見えなくなる、動けていた身体が動かなくなる。届いたところに届かなくなる。覚えられたものが忘れていくようになる。伸びていたものが縮んでいく。しかし聖書は言うのです。「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」と。

大切なことは、私たちもまだ成長の途上だということです。イエスさまに愛されている子どもとしえ、イエスさまに倣う途上にいる。イエスさまの着せてくださった「新しい人」という衣がしっくりと身についてくための成長の途上にいる。そしてキリストの満ち満ちた身丈にまで達する途上にいるのです。子どもたちの成長を願い、祈り、祝福を求めるなら、私たちも同じように主イエスにあって自らの成長を願い、祈り、祝福を求めましょう。「月日とともに、わずかずつでも、主イエスさまに似た者になれたら、それはわたしにとって一番うれしいこと」なのですから。