「人と人との間でできること」の第三は「境界線を意識する」ということです。
「相手と自分との間に境界線が存在することを意識し、境界線を尊重することで、お互いがお互いを通して相手の姿の中に自分自身の姿を意識し、自分が相手にどのように見えているかを意識することができます。また必要以上に相手の侵入を許さずに自分を守り、過剰な反応によって相手に報復しようとすることから分を守ることにつながるでしょう。これは個人レベルのことに留まらない、信仰を共にしていても異なる他者同士が共に生きる共同体を形成していく上でも必要な知恵だと思います」(69頁)。
この「境界線(バウンダリー)」の重要さは特に強調しておきたいと思います。「境界線が存在することに無自覚であったり、それが低すぎたりする場合、お互いの境界線を越えて侵入し合うことは、「親しさ」と勘違いしやすいけれども、それがお互いを傷つけ合うことにもなります。多方で境界線の存在を意識しすぎ、高く設定されすぎると、お互いの顔も見えないし言葉も届かない、そもそも交わりが成り立たないということになってしまいます」(70頁)。人間関係のトラブルも、特に教会のメンバー同士のトラブルが生じる場合も、その多くは起こった事柄そのものとともに、それにまつわる互いの境界線の無自覚や越境に起因することが多いのです。
「その意味で、教会は『愛の交わり』の美名のもとに、互いに依存し合う交わりになることに注意する必要があります。一人ひとりが主の御前に一人で立つことのできる信仰の養いが必要です。・・・その時に、お互いの間にそびえ立つような『壁』や、底の見えない『溝』ではなく、ほどよく手入れされた垣根のような『境界線』を意識し、それを尊ぶことができるようになるでしょう」(71頁)。