自分からできる平和作りの六つ目は、「自分から頭を下げてみる」です。拙著『平和へのはじめの一歩』では私自身の経験を交えて次のように記しました。「私たちは『ごめんなさい』がなかなか言えません。大人も子どもも頑固なほどに『ごめんなさい』が言えない。自分から頭を下げることができない。だれもが身に
覚えのあることでしょう」(56頁)。「『赦すこと』と『赦されること』の関係は複雑です。まず『赦すこと』はとても難しい。
マタイの福音書18章でペテロは主イエスに尋ねました。『主よ、兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか』(21節)。『七』は聖書の中で『完全数』ですから、ペテロからすれば『七回とは見上げたものだ』とお褒めの言葉を期待したかもしれません。ところが主イエスのお答えは驚くべきものでした。『わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです』(22節)。ここで主イエスのおっしゃった意図は、もちろん『七×七十で四百九十回』という計算ではありません。限りなく赦しなさいとのご命令です」(59頁)。実に高いハードルですが、それでも和解と関係修復のためには互いに「赦す」「赦される」という経験をすることが必要です。そしてそのためには相手があやまってくるのを待つよりも、自分からまず頭を下げてみてはどうかと思うのです。
「五十代半ばを過ぎた私の貴重な学びは、『謝るのだったらまず自分から』『頭を下げて見えるものがある』『誠意を尽くして謝ったら、いつかきっと赦してもらえるという希望を捨てない』ということでした。・・・謝ることで赦しを経験し、赦された経験がさらなる謝罪へと向かわせ、その中で頭を下げることを妨げている自分自身と直面させられ、その繰り返しを通して『いつか、きっと』という希望を抱くことができ」(60頁)るのです。