7月最後の主の日を迎えました。夏の盛りを迎えていきます。子どもたちをバイブルキャンプ荷送り出し、また教会でも来月には戦後80を覚えての集まりも予定されています。暑さの中にもお一人一人の健康が支えられ、主にある歩みが守られますように、主の祝福をお祈りいたします。
1.ペテロの身に起こったこと
主イエスの十字架に向かう道行きを記す、マルコ福音書の長い14章をようやく読み終えます。ここに記されるのは、主イエスの十字架への道行きの中でもひときわ強く、そして痛みとともに記憶に刻まれる出来事です。30節で「あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います」と主イエスの言われた言葉がその通りに実現してしまう。ペテロの痛恨の出来事です。今日の場面は先週取り上げた53節以下、ゲツセマネの園で捕らえられた主イエスが大祭司カヤパの邸宅に連れて行かれ、夜通しの尋問を受けているまさにその時、カヤパ邸の中庭で起こっていた出来事を記します。53節、54節、そして66節から72節までを一息に読んでおきましょう。
「人々がイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長たち、長老たち、律法学者たちがみな集まって来た。ペテロは、遠くからイエスの後について、大祭司の庭の中まで入って行った。そして、下役たちと一緒に座って、火に当たっていた」。「ペテロが下の中庭にいると、大祭司の召使いの女の一人がやって来た。ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。『あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。』ペテロはそれを否定して、『何を言っているのか分からない。理解できない』と言って、前庭の方に出て行った。すると鶏が鳴いた。召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。『この人はあの人たちの仲間です。』すると、ペテロは再び否定した。しばらくすると、そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。『確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。』するとペテロは、嘘ならのろわれてもよいと誓い始め、『私は、あなたがたが話しているその人を知らない』と言った。するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた」。
ここでまず考えたいのは、ペテロの身に起こったことについてです。ゲツセマネの園で弟子たちが主イエスを見捨てて逃げ去ってしまった後、ペテロは「遠くからイエスの後について、大祭司の庭の中まで入って行った」とあります。彼の振る舞いの動機や理由は定かではありません。主イエスの身の行く末を案じてついて来たという感じもなく、隙あらば主イエスをユダヤ人たちの手から奪い返そうと機会を窺っていたというわけでもなさそうです。ペテロ自身、自分の行動にさしたる動機も、目的も、見通しも持っていなかったのではないか。主イエスを見捨てて逃げ去るほどの思いはなく、とはいえ主イエスを奪い返すほどの勇気もなく、この先の展開についての見通しも計画もないまま、ただ主イエスのお姿を遠く見ながらひたひたとついて来て、気づいたら大祭司の邸宅の中庭にいたということだったのではないかと想像します。皆さんはどう想像されるでしょうか。
2.キリストを否む心、隠す心、恥じる心
そんなペテロでありながら、しかし彼のここでの振る舞いは言い訳や弁解の余地のないほどにハッキリしたものでした。冷え切った体を温めるために焚き火に当たるペテロの顔が闇夜の中に映し出される。その顔をじっと見つめる大祭司の家の召使いの女がやがて口を開いて言うのです。ここでのやりとりは少し生々しいものですが、敢えて岩波訳でご紹介します。「お前さんも、あのナザレ人イエスと一緒だったね」と。それに対してペテロはこう応じるのです。「俺はお前の言っていることなぞ知らないし、わからん」。こうして召使いの女の言葉を否定するペテロ。もちろんわからないはずがありません。ちゃんとわかっているのに、いやちゃんとわかっているので、彼はそれを否定する。それは自分自身が主イエスの弟子であることを否定する言葉でした。
そして68節。「すると鶏が鳴いた」。召使いの女はさらに声を大きくして周りの人々に言います。「この男もあいつらの一味なのよ」と。それに対してペテロは再び否定します。それは主イエスに一緒に仕えてきた弟子仲間たちを否定する言葉でした。さらにしばらくすると、他の人々も声を挙げ始めます。「ほんとうにお前はあいつらの一味だ。お前はガリラヤ人だからな」。それに対してペテロは決定的な言葉を口にします。「俺はお前たちの言っているあんな人間なぞ知らん」。しかもそれは「嘘なら呪われてもよいと誓い始め」とさえ言われるほどの全否定です。こうしてペテロは自分が主の弟子であることを否定し、弟子仲間たちを否定し、ついには主イエスご自身を否定してしまったのでした。
そして72節。「するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた」。30節で「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」との主イエスの言葉が実現してしまった瞬間です。31節で「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と力んで言い張ったペテロの声がむなしくこだましてくる場面です。主イエスを否んだペテロ。しかし彼が否んだのは主イエスのみならず、主イエスの弟子仲間たち、そして自分自身をも否むことになってしまったのです。
私たちにとって、主イエスとの関係が崩れてしまって、それで他の人々との関係に何の変化もないということはあり得ないことです。主イエスにある生き方は、ただ主イエスと私との間の閉じた関係に留まるものでなく、主イエスにあって開かれた隣人との関係にも及んで来るものです。神を愛することと隣人を愛することが分かちがたく結びついているように、主イエスを否んで生きることは、真の意味での隣人をも否んで生きる自己中心な生き方に閉じて行ってしまうことにつながるでしょう。しかし、そうであると分かっていても、私たちは今朝、このペテロの姿を見るときに、「なんと無様なペテロよ」と呆れたり、「十二弟子の筆頭でありながらどうして」と彼を非難したりすることのできない自分自身がいることに気づかされます。誰もみな「私は大丈夫。私はこんな振る舞いはしない」とは言えない弱さを持っていることを認めることからスタートすることが必要でしょう。
主イエスのことを「知らない」と言う。そういう場面は、私たちにとって何か特別なものというよりも実際には日常の中にあるものです。職場で、学校で、地域のコミュニティーの中で、教会に行っていること、キリスト者であること、信仰を持って生きていること、そのことを問われた時につい口籠もってしまう。「はい、そうです」と最初に言ってしまえばよかったものの、その一言を飲み込んだばかりにずるずると引きずられていく。そんなつもりはないのにと思いながら、あるいはそのようなことは言葉にせずとも、結果的に主イエスを否む生き方になっていってしまう。このことはマルコ福音書を読んでいた当時の教会に人々には、決して他人事でない問題だったと思います。背教、棄教の問題は、まさにいのちに関わるギリギリのところでの闘いの結果でした。しかしいったい何が信仰を貫く道と信仰を捨て去る道とを分け、主イエスに従う道と主イエスを否む道とを分けるのでしょうか。主イエスを否む心。それは突然に起こるものというよりも、少しずつひたひたと私たちの内に広がるものではないでしょうか。それは主イエスを信じている自分を恥じることから始まり、やがて自分が主イエスの弟子の一人であることを隠すことにつながり、そしてついには主イエスご自身を否むことに至る。一番近いところ、自分自身からすべては始まっていくのではないかと思います。
3.泣き崩れる弟子
私は小学校の頃、自分の学校の前で教会の皆が教会学校のチラシ配布に来るのがイヤで仕方がありませんでした。いつもどこかでイエスさまを恥じる心が消えませんでした。そしてそのように恥じる自分自身にも傷ついていました。同じく小学校高学年の頃のことです。同じ学校に、教会で小さい頃から一緒だった女の子がいました。幼馴染みで小さいころから教会でいつも一緒に過ごしていたのですが、ある時からその子は周りの子たちから疎んじられ、いじめられるようになってしまいました。私はそのことを薄々気づいていたにも関わらず、その子の側に立つことをしませんでした。ある日の学校帰り、一緒に下校していた友人たちが、少し前を一人で歩いていたその子を見つけてからかい始めました。そのうち一人が私のほうを見て、「お前もあいつの友だちだろ、一緒に教会に行っているんだろ」と言って、ちょっと口にするのも憚られるような言葉でからかい始めました。その時、私は彼女をかばうこともせず、その場から黙って走り去って逃げるように家に帰りました。その瞬間の彼女の顔、確かに私の目を見たと思うのですが、その悲しい眼差しがグサリと心に突き刺さりました。同じ弟子仲間を裏切った私がそこにいます。これは今も拭い去ることのできない私の罪です。主にある友を見捨てた罪。それは私にとって主イエスを否んだのと同じです。ペテロの否認を私は決して他人事とすることができないのです。
主イエスの弟子として生き来た自分を裏切り、ともに主イエスに従ってきた弟子仲間たちを裏切り、そしてついには大切な主イエスご自身を裏切ってしまったペテロ。鶏が二度目に鳴いた時、彼は「『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた」とあります。この「泣き崩れた」という表現、他には「伏して泣いた」、「身を投げ出して、泣いた」などとも訳されますが、身体がその場に崩れるようにしているのと、心がガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのと、両方のニュアンスを含んだ言葉と聞こえます。それまでの彼を支えていた自負心も熱心も崩れ落ち、ぺしゃんこになったペテロの姿です。
それにしても、福音書にこの出来事が書き残されて今に至るまで読み継がれているのは、この出来事をペテロ自身が包み隠さずに周囲の人々に、また後の教会に言い残したからでしょう。もちろんペテロにとっては決して忘れられない出来事です。ある意味ではイスカリオテ・ユダの裏切りにも匹敵するほどの痛恨の出来事です。忘れられないけれども、しかし同時に想い出すだけでもつらい、想い出したくない出来事でもあったでしょう。夜明けの鶏の声を聞く度に、その生涯の間ずっと想い出し続けたに違いない出来事です。それでもペテロはこの経験を隠しませんでした。そこに彼の決心があったのだと思います。この経験は後の教会に語り伝えなければならない。迫害の時代、困難な時代、棄教を迫られ、背教を迫られる時代が来るときに、敢えて自分の失敗の姿、これほどの無様な姿をさらすことで、慢心してはならないこと、眠りこけてはならないこと、驕り高ぶってはならないこと、主イエスの言葉にすがりつくように聴き続けること、それがどれほどつらい言葉、思い出したくない言葉であったとしても、それが忘れてならない信仰の原点となること。それらをペテロは後の教会に託し伝えたのではないでしょうか。
ヨーロッパの教会には十字架の替わりに教会のてっぺんに十字架の代わりに、あるいは十字架とともに鶏を掲げる伝統があると聞いたことがあります。朝明けを告げる鶏を、時代の中で神の言葉を告げ知らせる教会の使命と重ね合わせたというのです。しかしそれだけではないと思いました。鶏を掲げる教会。それはペテロの裏切りという失敗と痛みを忘れないという決心の現れでもあったのではないかと。地上にあって私たちは無傷の教会、完全な教会ではあり得ない。むしろ消せない失敗や後悔の傷跡をたくさん身に帯びた教会です。しかし痛みの中で思い出す神の恵みは決して忘れられるものではないはずです。
そして私たちはこの朝、このペテロの失敗を通してさえもこれまで聴き続けてきた主イエスの御言葉を思い出したいと思います。あの晩、大祭司の邸宅の中庭にいた人々がペテロに言った言葉はこうでした。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね」。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ」。考えてみれば幸いな言葉です。「世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる」と言われる主イエスと、「あなたも一緒にいた」、「あなたも仲間だ」と言われる。その時にできることなら「何を言っているのか分からない。理解できない」、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言うのでなく、「はい、私もいっしょにおりました。私だけではありません。彼も彼女も、あの人もこの人も私も一緒にいた私の仲間です」と言える私たち、そう証しできる多磨教会でありたいと願います。そのためにもこの礼拝で新しく主の御声に聴き、崩れ去ったところから立ち上がらせていただいて、歩み続ける私たとならせていただきましょう。