7月第二主日を迎えました。連日の暑さの中ですが、今朝もこうして主の招きを受けて礼拝に集い、ともに賛美をささげ、祈りをささげ、みことばに聴く、幸いな時を感謝します。今日も主からのいのちの養いを受けて遣わされてまいりましょう。皆さんに主の豊かな祝福がありますように。

1.捕らえられる主イエス

ゲツセマネの園での御子イエス・キリストの御父との祈りの格闘が終わろうかとするタイミングで、夜の帳が破られ、静かな園が騒然としてきます。43節。「そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二人の弟子の一人ユダが現れた。祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした群衆も一緒であった」。松明の明かりが激しく揺れながら闇夜を切り裂き、大勢の足音が荒々しく夜の静けさをかき消し、剣や棒を手にし、血走った眼で興奮した群衆たちが押し寄せてくる。不安と同様を隠すことのできない弟子たちの激しい鼓動が伝わってくる。そんな中、暗闇の中から集団の先頭にいる人物の顔が浮かび上がってきます。恐らくその顔を見て弟子たちにはさらなる動揺が走ったことでしょう。彼は十二弟子の一人、ほんの数時間前まで主イエスを囲んで過越の食事をしていた仲間、イスカリオテ・ユダだったからです。

この場面でのイスカリオテ・ユダの振る舞いは「サタンに捕らわれるとはこういうことか」と納得させられるような感じがします。44節、45節。「イエスを裏切ろうとしていた者は、彼らと合図を決め、『私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ』と言っておいた。ユダはやって来るとすぐ、イエスに近づき、『先生』と言って口づけした」。本来ならば親愛の情と敬意を示すはずの挨拶の口づけが、ここでは裏切りと売り渡しの合図でした。岩波書店訳の新約聖書がその真意を伝えています。「俺が接吻する奴があいつだ。そいつを捕らえて、間違いなく引っ立てていけ」。そしてユダの口づけを合図に46節。「人々は、イエスに手をかけて捕らえた」のでした。「ユダの裏切り」と言葉にすれば一言で終わる出来事の、しかしその生々しすぎるほどの光景を私たちは目の当たりにします。聖書はこれ以上のことを記しませんが、恐らく弟子たち、群衆たち双方の怒号が飛び交い、暗闇の中で騒然とした有様が繰り広げられたはずです。その証拠に47節。「そのとき、そばに立っていた一人が、剣を抜いて大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした」。ヨハネ福音書18章10節は、剣で斬りかかったのはペテロ、耳を切り落とされた大祭司のしもべはマルコスと紹介され、ルカ22章51節では、その切り落とされた耳を主イエスが癒やされたと記されますが、ともかくそれほどの混乱の中、それとは対照的にこの騒動の中心にいる主イエスはお一人、ただただ静かに事の成り行きに身を委ねておられるのでした。

2.裏切る弟子、剣を振るう弟子、逃げ去る弟子

48節。「イエスは彼らに向かって言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか』」。マタイ福音書26章ではこの言葉に続いて主イエスの重要な言葉が記されます。「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」。ともかくマルコ福音書はそれに続いて、次のようなこれもまた重要な言葉を語られるのでした。49節。「わたしは毎日、宮であなたがたと一緒にいて教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえませんでした。しかし、こうなったのは聖書が成就するためです」。

人々の怒号が飛び交い、流血沙汰まで起きる大混乱の中、ただ主イエスお一人、この場に泰然と佇んでおられる。すべて分かっている。すべて受け入れている。すべて明け渡している。そんな主イエスの佇まいです。レイモンド・ブラウンという大変優れたカトリックの聖書学者が、ここでの主イエスのお姿は、父なる神に向かって完全に自らを明け渡し、譲り渡した「自己譲渡の姿」、まさしく「あなたのみこころのままを、なさってください」と祈られた通りの、献身の姿であると記しています。そしてそれだけに、続く50節が私たちの心に刺さります。「皆はイエスを見捨てて逃げてしまった」。裏切る弟子ユダはもちろんのこと、「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません」と啖呵を切り、実際にこの場では剣を振り回す弟子のペテロも、「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません」とのペテロ言葉に「皆も同じように言った」その弟子たち皆も、結局は「イエスを見捨てた」のであり、「見捨てて逃げてしまった」のでした。

3.「ある青年」の姿

さてここに、マルコの福音書だけが記す番外編のような記事があります。51節。52節。「ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた」。極めて深刻で緊張する場面の中で不謹慎ながらも、つい「君、だれ?」と聞きたくなる。そんな青年の姿です。古くからこの青年が気になる声は初代教会の中でもあったようで、いったいこの青年は誰なのかという問いが様々に論じられたようです。もちろんこの手の議論には確たる答えは出ないのですが、古くから有力とされる説の一つは、この青年は後にこの福音書を書いたマルコではないかというものです。最近では、これは主イエスによって生き返らされたマルタ・マリアの兄弟ラザロではないかとも言われます。

しかし大事なことはここに突如登場する「ある青年」の「亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた」という姿が、「皆はイエスを見捨てて逃げてしまった」ことの象徴であるということです。ペテロやアンデレ、ヤコブ、ヨハネはあのガリラヤの湖で舟も捨て、網も捨て、家族も捨てて主イエスに従って来ました。ところがその主イエスの地上における最大の危機、すなわち十字架の出来事を前にしたところで、50節。「みながイエスを見捨てて、逃げてしまった」そしてこの青年も「亜麻布も脱ぎ捨てて、裸で逃げた」とあるように、皆が、何もかも捨てて主イエスから逃げ去ってしまった現実を映し出しているのです。

もちろん彼らも最初から主イエスを見捨てて逃げ去ろうと思っていたわけではない。先の14章28節や30節の言葉は偽りなき本心からの言葉だったのでしょう。「それなのに」というべきか、いや「それゆえにこそ」と言うべきでしょう。確かにそのときは心からそう確信して口にした言葉。ところがそれがいつのまにか少しずつ変わって言ってしまう。言い訳をしながら、言い繕いをしながら、仕方なかった」、「しょうがなかった」と自己弁護しながら、あるいはまったく思い出すこともなく、私たちの言葉も振る舞いもそれを生み出す決断も、ある意味、その程度のものでしかないのでしょう。

4.聖書が成就するため

それにしても、主イエス一人を置いて弟子たちがみな逃げ去ってしまったというこの出来事が、どうして福音書に書き残されているかを最後に考えておきたいと思います。もしもあの亜麻布を脱ぎ捨て裸で逃げた青年がこの福音書の記者マルコであったとしたら、若い日のこととは言えこんな無様なエピソード、こんな大きな失敗と敗北の記録をわざわざ後の教会の人々に読ませるために書き残したのは一体なぜなのでしょうか。都合の悪い記録は隠す、書き換える、無かったことにする。いつの時代にも行われてきた歴史の隠蔽、改竄の問題。しかし福音書はこの出来事を赤裸々にありのままに記す。それはなぜなのか。

マルコ福音書が成立し、それを最初に読んだのは紀元50年代のキリスト者たちでした。彼らの目の前にいて教会を導き、彼らを指導する人々の中にはここに登場するペテロも他の弟子たちの姿もありました。主イエスとともに歩み、直接の姿や言葉や業の目撃者であり、しかし同時に肝心要の十字架の時を前にして逃げ去ったという消せない過去を持つ弟子たち。そんな彼らによって始まったキリストの教会に集う人々に向けて、この福音書が語りかける。本来なら伏せておきたい、触れてほしくない、隠しておきたい痛恨の過去です。しかし福音書はそれを隠すことなく書く。そこには十字架と復活の主イエス・キリストを信じるキリスト教会にとって、失敗から始まったのが教会の歩みであり、敗北から始まったのが信仰の歩みである事実をしっかりと刻もうとする、そんな思いがあったのではないかと思うのです。

「わたしは毎日、宮であなたがたと一緒にいたのに、あなたがたは、わたしを捕らえませんでした。しかし、こうなったのは聖書が成就するためです」と主イエスは言われました。祭司長、律法学者、長老たちが主イエスを捕らえよう思えば、いつでも神殿で捕らえることができた。しかし今、この時、このような仕方で捕らえられるにあたってイスカリオテ・ユダに向かって「お前に裏切りのせいだ」と言わず、ペテロや他の弟子たちに向かって「さっきまで調子の良いことを言っておいてなんだ」と言わず、「ある青年」に向かって「今ごろ現れて何をしに来た。それでいて逃げ出すとはどういうことだ」とも言われない。むしろ主イエスは「こうなったのは聖書が成就するため」と言われるのです。以前の新改訳第三版は「聖書が実現するため」と訳していました。この当時、「聖書」と言えば旧約のことですから、旧約聖書が実現、成就するためと考えると、多くの場合、たとえばイザヤ書53章の苦難のしもべの預言が思い起こされるでしょう。

しかし「成就する」には「満ちる」、「満たす」という意味もあります。父なる神がこの世界の創造、人の堕落、そしてノアの洪水、アブラハムとの契約、そしてやがてお遣わしくださる救い主の約束を与えてくださった。いよいよその時が満ちようとしている。主イエスはご自分が人の子としてこの地上に遣わされて来た使命を受け取り、その時が来たことをすでにゲツセマネの祈りの中で受け取っておられます。それゆえに群衆たちの暴力、弟子たちの裏切りや逃亡にもかかわらず、人間の混乱のただ中にあって、ご自身はまったくそれらに乱されることなく落ち着いて、泰然と、そして一筋に十字架に向かって進んで行かれる。この主イエスの父なる神のみこころに従って行かれるお姿、それによって聖書を成就しようとするお姿を、そして私たち教会は、この御子イエス・キリストの、御父への完全な服従、完全な自己譲渡である十字架によって成り立つ集まりであることを、今朝、しっかりと心に刻んでおきたいと願うのです。

5.失敗から始まった教会

失敗から始まった、敗北から始まった。それが教会の歩みです。この福音書を最初に読んだ教会の人々は、ペテロや他の教会の指導者、信仰の先達たちがかつてこんな無様な失敗を犯した人々であったと知って躓いたでしょうか。こんな人々に導かれるのはごめんだと言ったでしょうか。きっとそうではなかっただろうと思います。迫害の時代を生きる当時の教会の信仰者にとって、おそらく弟子たちの姿は身近であったに違いない。自分も主イエスのもとから逃げ出すかもしれない。教会の仲間を置いて逃げ去るかも知れない。そんな中で、彼らの前に弟子たちがいる。取り返しのつかないような失敗をし、主イエスを一人置き去りにして逃げたような彼らが、しかしその後、迫害の時代、困難な時代を迎えた教会で、一生懸命に主イエスの福音に仕えて生きている。一度逃げ出したことのある身だからこそ人間の弱さ、脆さ、愚かさが身にしみて分かる。そしてそれ以上に、そんな自分たちが再び主イエスのもとに集められて、赦されて、生かされて、主にお仕えする者とされていることのありがたさが身にしみて分かる。そういう人たちによって導かれてきた教会の姿を見たに違いないのです。「あなたも立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」、そのことばによってもう一度立たせていただいた教会の姿。それもまた聖書の成就の姿です。

今年、日本は戦後80年を迎えます。日本の教会は80年前まで、まことの神と並べて天皇を神として礼拝する教会でした。自分たちだけでなく隣国の教会にも偶像礼拝を強制した教会でした。上に立つ権威を恐れたのです。怖くて逃げ出したのです。それで終わっていてもおかしくなかった敗北の教会が日本の教会です。にもかかわらず今日も私たちはここに集められている。これは決して当たり前のことではありません。父なる神の赦しとあわれみのゆえです。主イエスの十字架の贖いのゆえです。そして聖霊のとりなしのゆえです。このことを忘れずに、主の御前にどこまでも身を低くし、謙虚に、しかし大胆に、勇気をもって主イエスの証しに生きる私たちでありたいと願います。