礼拝は、生ける神のご臨在の前に進み出て、その御顔を拝し、御名をほめたたえ、その御声に聴き、御前に自らをささげるものです。本来ならば神の御前に出ることも、神の御顔を拝することもできなかった私たちが、今や妨げなく仕切りもなく、主の御前に大胆に進み出ることが許されているとは、どれほどの大きな恵みであるかを、繰り返し覚えるものでありたいと思います。
旧約聖書の幕屋の礼拝について、しばしば「会見の天幕」という表現が使われます。まさに神さまと出会い、相見える貴重なときです。そのために祭司やレビ人は身を清め、いけにえを備え、準備をして礼拝に臨みました。私たちも重要な会合に出席する、大事な人と会う、特別な場に招かれたなら、それ相応の準備をするはずです。持ち物や服装、身だしなみの備えはもちろん、時間に遅れないように、忘れ物がないように、道に迷わないように等々多くの準備をして当日に備えます。
主の日の礼拝は、ある意味でそれ以上の「時」と「場」です。生ける神ご自身が招かれる礼拝でこの神ご自身と出会う。そのためには私たちの側の準備も大切です。CS教師や奏楽者の方々は土曜日までにお話しの準備や奏楽の練習があるでしょう。一人の礼拝者としても土曜の夕べには翌日の礼拝に向けて祈り備えたい
ものです。日曜日もその日の聖書箇所や讃美歌の番号を確認する、献金を取り分けて用意する、小さいお子さんがいれば絵本や音の出ないおもちゃを用意するなど、挙げれば多くあるでしょう。そして朝、余裕を持って教会に行き、遅くとも礼拝開始10分前には席に着き、心を静めて祈りつつ生ける神と出会う準備をし
たいと思います。先月から多磨では10時10分に司会者がアナウンスをします。それを席で聴けるように互いに心がけましょう。