数回にわたって「三位一体論的に考える」ということについて記してきました。「三位一体」と聞くと「難しい」と思いますが、実際には「祈り」において私たちは日常的に三位一体の神さまと交わり、語らい、神さまご自身を経験しているということも確認しました。  

この神さまを信じて生きていく上で、私たちもこの三位一体の神さまにあるものの見方や考え方を身に着けていくことの大切さを覚えます。もちろん私たちは人間ですから神さまの偉大で奥義的な存在のあり方を身に着けることなど不可能ですが、それでもその神さまのあり方に倣い、御心に近づいていくことを絶えず祈り求めたいのです。その際に大切にしたい態度があります。それが「統一性と多様性」の両面を弁え知るということです。私たちは自分のものの見方や考え方に対して、意識的にか無意識的にかによらずそれに固執し、固定化し、時に絶対化しやすいものです。他の可能性、別の視点や考え方を想像することが難しく、他者の声に耳を傾けることもなかなかできない。そうやって独善的になりやすい傾向を持っています(私などは特にそうです)。  

キリスト教信仰もただお一人の神のみを信じる信仰ですし、とりわけプロテスタント信仰は「聖書のみ」「キリストのみ」「信仰のみ」を原理にして成り立ちましたので、どうしても「のみ」に傾きやすい。信仰告白に関わる事柄を曖昧にしたり、真理を蔑ろにすることはできませんが、それでも「のみ」の一面しか持たなければ、事柄の一面を見たことにしかなりません。唯一の神が三つの位格をお持ちであることを思えば、「統一性」と「多様性」は相互に排除するものでなく、建徳的に働くでしょう。教会のあり方も絶えずこの「統一性」と「多様性」を視野において、しなやかでのびやかな「キリストのからだ」として形成されていきたいと願います。