今日の歓迎礼拝の説教でも紹介した、北九州の奥田知志先生の著書『わたしがいる あなたがいる なんとかなる 「希望のまち」のつくりかた』(西日本新聞社、2025年)の中の、お気に入りのエッセイの一つ。NPO法人「抱樸」理事長として「希望のまちプロジェクト」のために東奔西走しておられる奥田先生が言うのです。「解決は無理でも『ひとりぼっちにしないこと』が何より大事だと思う。誰かが一緒にいてくれるなら、人は『なんとかなる』と思える。それが人というものだ」と。そこで紹介されるのが、子どもの頃の教会キャンプで屋外の臨時トイレで夜中に用足しをする光景を記すこんなくだりです。  

「夜中。無性に用が足したくなる。しかし、森は真っ暗で一人でトイレに行く勇気はない。僕はこう見えても、ものすごく怖がりなのだ。限界まで我慢するが、漏らすわけにもいかず…。それで隣りに寝ていた友達を起こすことになる。『なあ、ついて来てえや』懐中電灯を頼りに二人で真っ暗な森の中のトイレに向かう。森の奥で何かが『ギョエエエ』と鳴く。怖すぎて声も出ない。ようやくトイレにたどり着く。トイレの中から『いるか』と僕は尋ねる。友達は『いるで』と答える。『いるか』『いるで』。そんなやりとりが数回あって無事終了。友達が暗闇の怖さや森の不気味さを消し去ってくれるわけではない。森は真っ暗なままであり、恐怖以外の何物でもない。ただ『誰かが一緒にいてくれる』だけで違うのだ。ただそれだけで僕は『なんとかなる』と思えるのだ。森のトイレに限らず人生にはひとりぼっちではもたないという日がある。『なんとかなる』と思えないとき、そんなときには誰かに一緒にいてもらおう。『いるか』『いるで』。そのやりとりの中、僕は『なんとかなる』と思える」(184頁)。  

『いるで』と応じてくれる存在がいれば何とかなる。確かに。