8月第四の主日を迎えました。夏の終わりが近づいて、暑さの中にも少しずつ秋の気配が感じられるようになりました。9月から始まる「聖書を読む会」や、第二回の歓迎礼拝、また秋の特別祈祷会、そして9月第三週からは木曜夜の祈祷会も始まります。神の国が前進し、主なる神のよき御心がこの地に成し遂げられていくことを祈りつつ、秋に備えてまいりましょう。今朝も主がその名を呼んで招いてくださった皆さんお一人一人に、主の豊かな祝福がありますように祈ります。
1.十字架上の主イエス
いよいよ今朝、私たちは主イエスの十字架のお姿と向き合うことになります。22節から28節。「彼らはイエスを、ゴルゴタという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、彼らはイエスを十字架につけた。そして、くじを引いて、だれが何を取るのかを決め、イエスの衣を分けた。彼らがイエスを十字架につけたのは、午前9時であった。イエスの罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった。彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた」。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書は、それぞれの視点で主イエスのことばと業、そしてそれを通して主イエスの神の御子としてのお姿、救い主メシアの約束の実現を描き出しています。その意味では「福音書」というのは、イエス・キリストの単なる生涯の記録、人物伝というようなものに留まらない、特別で独特でユニークなものであり、「福音書文学」という一つのジャンルが成り立つほどのものです。その中でもマタイ、マルコ、ルカは「共観福音書」と呼ばれて、共通の様々な資料をもとに書き上げられており、ヨハネはさらに独自のスタイルをもって書かれています。共観福音書の中でも最初に書かれたのは、このマルコの福音書です。それでマルコをもとにしてマタイと読み比べ、ルカと読み比べ、さらにマタイとルカを読み比べ、それらとヨハネを読み比べるという仕方で読んでいくと、福音書がいったい何を私たちに伝えようとしているかが一層はっきりしてくるでしょう。
そのようなことをまず申し上げて、今日のマルコの福音書が描き出す主イエスの十字架の出来事に目を向けます。マルコ福音書は他の福音書に比べて一番短くこの出来事を記すのですが、それでもいくつかの細かい情報を書き込む一方で、全体を一言でまとめて書いていることもあります。たとえば十字架刑の行われた場所、時間、罪状書き、共に刑を執行された人々の情報などが逐一記される一方で、肝心の十字架刑については、たとえば手足を釘で打たれる様子や、その木があらかじめ掘られていた縦穴に差し込まれる様子や、その瞬間に響き渡る死刑囚の絶叫などには一切触れずに、ただ「それから、彼らは、イエスを十字架につけた」と記すのみです。またルカの福音書のように二人の犯罪人のことがこれ以上触れられることもない。しかし、だからこそ今朝、私たちはこの「彼らはイエスを十字架につけた」という一言の言葉を、その言葉の持つ重み、深み、痛みをまるごとそのままに受け取りたいと思うのです。
25節に「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前9時であった」とあるように、主イエスの十字架刑は朝に始まりました。そして次回の34節以降に見るように、主イエスは午後3時過ぎには息を引き取られる。つまり約6時間の刑執行であったことがわかります。通常、十字架刑というのは致命傷を与えられずに悶え苦しむ残酷なもので、絶命するまでに長い時間を要したと言われます。その点で、主イエスの絶命は異例の早さでした。一方で23節には、十字架上の主イエスが差し出された没薬入りのぶどう酒、これは死刑囚に対する最期の情けで振る舞われる苦痛緩和の麻酔薬のようなものですが、これを拒否なさったと記されます。これは主イエスが想像を絶する極限的な痛みと苦しみの中にあっても、意識朦朧としていたのでなく、ハッキリと目覚めていたことの証しであり、私たちの身代わりのいけにえとしての死を、全身全霊で受けとめていこうとなさる姿でもあるでしょう。主イエスは訳も分からないまま半狂乱のようになって死んでいくのではない。今ここで起こっていることの意味をすべてを理解し、その出来事のすべてをご自身の身に引き受けてくださったのです。
2.彼らはイエスを十字架につけた
このような壮絶な主イエスの十字架のお姿と著しく対照的なのが、十字架を取り巻く人々の姿です。29節から32節。「通りすがりの人たちは、頭を振りながらイエスをののしって言った。『おい、神殿を壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。』同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを嘲って言った。『他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王に、今、十字架から降りてもらおう。それを見たら信じよう。』また、一緒に十字架につけられていた者たちもイエスをののしった」。
福音書の十字架の場面を読む度に思うことでもありますが、こうした民衆たちの主イエスに対する嘲り、罵りの声を聞くと、本当につらくなります。そればかりでない。つらさを通り越して怒りの感情さえ芽生えてきます。なんと恥知らずで恩知らずで、傲慢きわまりないことを言うのかと。いったい主イエスの死の意味がわかっているのかと。主イエスが十字架から降りてしまわれたら、主イエスによる救いが成し遂げられなければ、いったい私たちがどうなってしまったか、それを分かって言っているのかと。さらにエスカレートしてくると、「イエスさま、いっそ彼らの求めのとおりに今ここで十字架から降りてみてください。彼らが呆気にとられ、言葉を失い、恥じ入るようにしてください」。そしてそんな彼らに向かって「ほら、十字架から降りた主イエスをよく見てみろ、まいったか」と、そう畳み掛けて溜飲を下げたくなる、そんな自分の欲求に気づかされるのです。
しかしそこであらためて気づかされる。これではあの荒野で主イエスを唆し、誘おうとした誘惑者サタンと同じではないかと。主イエスの圧倒的な力を見せつけて人々を屈服させようとする悪しき力が自分の中にもあることに気づかされるのです。そうして怒るお前はいったい何者なのかと、当たり前のように主イエスの側に立っているようなつもりのようだが、実際にお前が立っている立ち位置はどこなのかと。それこそ傲慢不遜なのはお前自身なのではないかと。鋭く、痛い思いが突き刺さるのです。
そもそも主イエスは彼らの嘲りやののしりと関わりなく、自ら十字架から降りようと思えば、そうおできになる方でしょう。しかし主イエスはそうはなさらない。むしろ進んで十字架に掛かられる。なぜか。それが主イエスが御父から受け取ったみこころだったからです。そしてこの出来事はユダヤ人指導者たちの妬み、ユダの裏切り、群衆の熱狂、ピラトの事なかれ主義の結果のようでありながら、実は一貫して御父の救いのみこころの実現であり、それは旧約聖書以来のメシアの約束の成就でもあったのです。詩篇22篇にこうある通りです。7節、8節。「私を見る者はみな、私を嘲ります。口をとがらせ、頭を振ります。『主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから』」、16節から18節。「犬どもが私を取り囲み、悪者どもの群れが私を取り巻いて私の手足にかみついたからです。私は、自分の骨をみな数えることができます。彼らは目を凝らし、私を見ています。彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします」。
3.私たちのための十字架
今朝、私たちがよく心に刻み込むようにして聞かなければならないのは、24節の「彼らはイエスを十字架につけた」との言葉です。ここでの「彼ら」、すなわち兵士たち、通りすがりの人たち、祭司長たち、律法学者たち、一緒に十字架につけられていた者たち、それは私たちからすれば遠い昔の、遠い場所の、名前も知らない人々です。しかし主イエスの十字架は、その時、その場にいた人々とだけ関わる出来事ではありません。主イエスの十字架。それはそこで成し遂げられた救いをだれも自分のためとは思っていない。むしろ他人事のように眺め、あざけり、ののしり、「十字架から降りて来て、自分を救ってみろ」、「他人は救ったが自分は救えない」と悪態をつく、その彼らのためでありました。
しかし主イエスの十字架はそれに留まるものでもない。私たちもまた、この出来事を前にして「彼らはイエスを十字架につけた」といって終わらせることができない。むしろ大事なことは、この「彼ら」という三人称複数が、「我ら」という一人称複数に、そしてついには「我」という一人称単数に変わらなければならないということです。さらに言えば、「われらはイエスを十字架につけた」、「私はイエスを十字架につけた」という認識が、その十字架が「我らのため」であり、さらには「我のため」というところにまで至ることが必要だということです。二千年も前の、行ったこともない場所で起こった、あったこともない死刑囚の悲惨な十字架刑が、「私が十字架につけた」、しかも「私のための十字架だった」と結びつく。それは人間の認識の深さ、想像力のたくましさ、信心の深さによって、こちらから手を差し伸べて到達する世界ではありません。まさにそれは神が恵みをもってもたらしてくださる救いの出来事です。
今年、2025年は、325年のニカイア公会議、そしてニカイア信条から1700年の記念の年です。ニカイア信条はその後、381年にニカイア・コンスタンティノポリス信条として整えられ、今でも世界の教会が告白する信条として重んじられています。いずれ多磨教会でも使徒信条とともに、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白するようになれたらと思っていますが、その理由の一つが、ニカイアの信条が強調する「我らのため」という言葉にあります。「主は、我ら人間のため、また我らの救いのために天より下り、聖霊によりて処女マリヤより肉体をとりて人となり、我らのためにポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ」。キリスト教信仰とは、まさに主イエスが十字架についてくださったのは「我らのため」と信じること、言い換えれば、主イエスを十字架につけ、嘲り、罵り、侮辱する「彼ら」、「彼らはイエスを十字架につけた」という「彼ら」が、他ならぬ「我ら」のことであり、いや「我のため」であったと信じ、受け入れることなのです。
私たちは主イエスの十字架をどのように見つめるのでしょうか。十字架を前に、主イエスを三度も否んでしまったペテロ、しかし復活の主イエスによって立ち直らされたペテロは後にこう書き残しています。ペテロの手紙第一2章22節から24節。「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた」。
この御言葉を繰り返し心に刻み、信じ、告白し、生きるものとならせていただきたいと願います。「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため」と。このキリストの十字架が、私を生かすのです。