私の好きな賛美歌に『主イエスの歩みし道』という歌があります。主イエスの地上のご生涯を歌ったもので、神学生時代にクワイアで何度も賛美しました。こんな歌詞です。
『主イエスの歩みし道なつかし 主の知りたまえる小さき道 御跡を慕いてわれも歩まん 主は共にいまし 安けくあらん 懐かし貧しきベツレヘムよ 幼き主イエスの歩みし道 ガリラヤの丘よ ナザレの野よ 主の歩みし道 われは慕う 主の膝まづきし ゲツセマネにて いまわれは祈る 主を想いつ 十字架の上に 死にたまえる カルバリの丘を われも登り行かん 主の死にたまえる ああカルバリ 主イエスの歩みし道なつかし。』
私たちの礼拝の歩みも、この主イエスの歩まれた道を想起し、記念し、その歩みに従うことを覚える意味を持っています。教会には「教会暦」という暦があります。主イエスの御降誕を待ち望む待降節から1年が始まり、主イエスの誕生から十字架の受難、復活から昇天までを「主の半年」、主イエスの昇天から聖霊の降臨、そしてその後の教会の福音宣教の歩みを「教会の半年」として、一年をかけて主イエスの歩みを覚え続けます。
厳密には教会暦に基づいて毎日の聖書日課が定められ、旧約、新約(福音書と書簡)からその日に読む御言葉が示され、主日礼拝もその聖書日課に基づいて説教が語られます。また教会暦毎に「典礼色」が定められ、牧師がその色をあしらったガウンやストールを身に着け、説教壇や聖餐卓にバナーを掛ける教会もあります。
私は多磨教会が主日毎にみことばを頂き、聖餐に与り続ける礼拝を一年52回献げることで主イエスの歩みを覚え、その歩みに自分の歩みを重ねて一歩一歩進んでいく地道な歩みを大切にしたいと願っています。この積み重ねが、創造から終末へと向かう大きな神の救いの歴史のを切り拓くことに繋がっているからです。