礼拝とは何かを簡潔に表現するとすれば「三位一体の生ける神との出会いの時」、「神との公的な会見」、「神への奉仕」と言うことができるでしょう。
まず「三位一体の生ける神との出会いの時」としての礼拝とは、神が私たちを招き、招かれた私たちが神の御前に進み出て、賛美をもって御名をほめたたえ、祈りをもって御名を呼び、神が私たちにご自身の生けるみことばをもって語りかけ、私たちが「主の御声に聴き従います」と耳を傾け、聴いたみことばに応答して信仰を言い表し、感謝のささげものをささげ、神の栄光をあがめ、神が私たちを祝福し、遣わしてくださるという、礼拝の持つダイナミックな姿として表現されます。
次に「神との公的な会見」としての礼拝は、私たちが一つの民として時と場を定め、ともに集い、祈りと備えをもって神の御前に進み出て、ある特定の時を取り分けてささげる礼拝の典礼的な姿として表現されます。そして「神への奉仕」としての礼拝は、ひとりひとりが自分自身の身体、心、時間をトータルに神の御前に差し出し、神にお仕えする礼拝の姿として表現されます。
以上のことから礼拝は、「神に栄光を帰す」(Worship)べくささげられる「神の民のわざ」(Liturgy)であり、それをもって私たちが聖霊により、御子イエスを通して父なる神にお仕えする「神への最高の奉仕」(Service)と言えるでしょう。しかしこの「神への最高の奉仕」が可能となるために、父なる神が御子を通し、聖霊によって私たちのもとにお出でになり、私たちに仕えてくださっている「神の最高の奉仕」があることを忘れることはできません。それは神がご自身を低くして私たちと目線を合わせ、私たちの礼拝を受け入れてくださっているゆえなのです。この神のへりくだりのゆえに、私たちの礼拝は成り立つのです。