新約聖書には、使徒パウロが諸教会や個人に書き送った手紙が13通収められています。それらの宛先には実際にパウロが訪れたり、滞在した教会、祈りと物心ともに支えられた教会もあれば、実際には足を運んだことのない教会もありました。そうした手紙の中でしばしばパウロは「祈るときには、あなたがたのことを思い、絶えず感謝しています」(エペソ1:16)、「あなたがたのことを覚えるて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています」(Ⅰテサロニケ1:2)と記しています。

名説教者として知られた榊原康夫先生は「思う」というのは「メモをする」という意味で、「思い出す」というのとは違うと述べておられます(『エペソ人への手紙上』いのちのことば社,1989年,199−200頁)。つまり相手と直接の面識がなくてもメモをするように相手のことを覚え、祈ることだと言うのです。

私たちは多磨教会・いずみ教会に連なっていますが、自分たちの教会だけを考える内向き思考にならないよう意識することが大切です。週報の祈りの課題に「教団、宣教区、近隣教会の祝福と宣教の協力のために」と挙げられている意味を覚えていただきたいのです。また世界中の諸教会のために祈りたいと思います。そのための良い道具が教団発行の「祈りのネットワーク」です。教団諸教会を「覚える」、行ったことのない教会、会ったことのない牧師や信徒の方々を「メモをする」ように覚えて祈る。その祈りが私たちの視野を広げ、祈りの射程を遠くまで届かせてくれる。こうして互いに覚え合う祈りの交わりの中で、主の教会は建て上げられ、成長していくのです。

私はこれまで教団260余の教会のうち約190の教会を訪問する機会を得ました。行ってみなければわからないこともありますが、いつも祈っているので初めての気持ちがしないというのも事実です。そして私たちのためにも覚えて祈ってくださる教会を知るのは大きな励ましの経験なのです。