「教会を建て上げる」と言う表現をよく用います。「建て上げる」というのは文字通り「家を建てる」という意味の建築用語で、使徒パウロはエペソ書2章では「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスがその要の石です。このキリストにあって、建物全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります」(20,21)、4章では「キリストのからだを建て上げる(12)、「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります」(16)と言っています。また使徒ペテロも第一の手紙2章で「あなたがた自身も生ける石として、霊の家に築き上げられ」る(5)と教えます。

これらの御言葉を読むと「建物」という無機質なものが「使徒たちや預言者たちという土台」「キリストが要の石」「成長」「生ける石」といった有機的な表現で語られていることに目が留まります。そこから「教会を建て上げる」とは、何かの組織、何かの団体を作る、何かの建造物や宗教施設を建てるということでなく、生きたいのちの営み」であることが教えられるのです。もちろん教会も人の集まりですから、組織も運営も経済も重要ですし教会堂も重要です。しかしそれが揃ったら教会が建て上げられるという訳でもありません。

では最も大切なことは何か。それはパウロが語った「キリストによって、からだ全体は・・・愛のうちに建てられる」ということでしょう。一コリント13章で「愛がなければ・・・」と繰り返し語られたことも思い起こされます。その「愛」は私たちの内から自然と湧き上がるものではありません。私たちは自分の内に愛のないことを知っています。キリストを通して表された神の愛に満たされ、生かされることを求め、愛のうちに建て上げられることを祈り求めてまいりましょう。