「教会を信ず」と告白することは「教会を愛する」ことだと学びました。「愛する」とは観念的なことでなく、実に具体的なことです、ですから「聖なる公同の教会」、「唯一にして聖なる公同の使徒的教会」を愛することも、この地に建てられて、歴史を重ねて歩む地域教会、私たちで言えばこの「多磨教会」を愛することを通して実現していくものであり、それなしに「公同の教会」を愛すると言っても、それは抽象に陥ってしまうでしょう。
では具体的に教会を愛するとはどういうことか。様々なことを思い浮かべることができるでしょうが、私にとって一番に思い浮かぶのは「教会を整える」ということです。高校一年生の夏、それまで小学校に上がる前から行っていた松原湖バイブルキャンプで初めてグランドワーカーとして奉仕しました。朝5時から始まるトイレ掃除、お風呂掃除、集会の前の椅子並べ、食事の後の皿洗い、キャンプファヤーの準備など、具体的に身体を動かしながら「キャンパーにお仕えする」
ことを通して「主にお仕えする」ことを学びました。その年の12月に幼なじみと一緒に受洗して最初に任された奉仕は、水曜祈祷会に早めに行って玄関にスリッパを並べ、机の上に聖書と聖歌を並べることでした。この十代の経験が自分の奉仕の原点になっているとつくづく感じます。
伝道者となって最初に遣わされた岡山の西大寺キリスト教会では、主任牧師や教会の皆さんから、礼拝堂の整え方、座席の座布団の並べ方、教会の庭の手入れ、土曜日の午後に教会の皆さんと一緒に掃除をすること。それらを通して「教会に仕えること」を手取り足取り教えていただきました。
それから30数年、夫婦共々遣わされた教会で「整える」ことを心してきました。礼拝を整え、信仰の道筋を整え、会議を整え、会堂を整え、見える所、見えない所を整えることで、いのちの水、聖霊の風が流れていくと確信してのことです。この教会でもそのような経験をご一緒したいと願っています。