7月第四の主日を迎えました。夏の盛りを迎えていますが、皆さんの健康が守られて、日々の歩みに主の支えと祝福が豊かにありますように祈ります。
1.福音の驚き
聖書を日々読み続け、説き明かし続けている者の一人として、聖書の面白さ、奥深さ、それらがもたらす驚きに圧倒され続けています。そしてこの驚きは何によってもたらされるかを考えます。聖書は神のことばですから創世記からヨハネ黙示録まで66巻の聖書全体、その成り立ち、内容、文体、また聖書を通して語られる神の息吹、聖書が及ぼしてきた世界史的な働きなどすべてが驚きなのですが、敢えて考えてみると、人間のことばで書かれつつしかし人間のことばでは言い表しきれないことを書いていること、ここに福音の驚きを感じるのです。とりわけパウロの手紙を読んでいると、彼自身が神のことばに驚き、語られる神ご自身に圧倒されつつ手紙を書いている姿が伝わってきます。それは私たちの常識を覆し、価値観を逆転させる驚き、福音の驚きを記すことばです。
エペソ書でもすでに1章から3章まででそのようなことばに出会ってきましたが、今日の箇所からもこの驚きが伝わって来ます。8節、9節。「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです」。
ここに現れている驚きは、まずは「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」に、神の豊かな恵み、限りなく豊かな恵みが与えられたこと、次に神の民イスラエルからもっとも遠くにいた異邦人たちにも救いの恵みがもたらされ、今やキリストの十字架によって「二つのものが一つにされている」ということ、さらに「世々隠されていた奥義」がいまや「すべての人に明らかに」されているということです。そしてこのような驚くべき福音に私パウロが召され、異邦人に宣べ伝える務めを委ねられ、実際に自分が今、彼ら異邦人たちに奥義の実現を明らかにしているという事実に、何よりもパウロ自身が驚いているのです。
2.神のきわめて豊かな知恵
このように福音の驚きとは、「大きなものが小さいものに」、「遠く隔たったものがごく近くに」、「二つのものが一つに」、「隠されていたものが明らかに」という私たちの常識を覆し、価値観を逆転させるような出来事が、ほかならぬこの私の身において起こるところにあると言えるでしょう。キリスト教信仰とはその意味で極めて経験的であり、実存的です。それは私という小さな世界の中に取り込まれ、消化されてしまうようなものでなく、むしろこの驚くべき神の永遠のご計画に基づく大いなる御業が、この小さな私の人生においても経験されるという、極めて特殊で特別な経験です。
パウロが驚いている出来事は何か。10節、11節。「これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます」。彼が異邦人たちに福音を宣べ伝えていることは「今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるもの」というのです。
「神の極めて豊かな知恵」という表現に注目します。「極めて豊かな」とは「色とりどりの刺繍糸」を表現することばで、「多種多様の知恵」、「いろいろの働きをする神の知恵」、「たくさんの色とりどりの知恵」とも言い換えることができます。福音がもたらしたもの、それはまことに色とりどりの神の知恵の現れであり、それが今や教会を通して人々に知らされている。これこそが福音の一番の驚きなのです。
2020年に『喜びの知らせ 説教による教理入門』という本を出しました。この表紙を書き、装丁をしてくださったのが画家のホンダマモルさんです。それ以前にも『ハイデルベルク信仰問答を読む』、『バルメン宣言を読む』、その後は『光を仰いで』、『三位一体の神と語らう』も手がけてくださっていますが、彼に依頼すると原稿を読んで二枚の絵を描いてくださり、その中から一点を選ぶのです。とても難しく楽しい経験です。『喜びの知らせ』の時は人物や事物でなくイメージで描いてほしいとお願いしました。そしてなるべくカラフルにとお願いしました。「福音」の豊かさを表現したいと思ったのです。仕上がった二点はどちらもすばらしく、悩んだ末に選んだのが表紙となった作品です。まさに「神の極めて豊かな、そして色とりどりの知恵」が現れています。
パウロは、教会がこのような神の作品なのだというのです。教会というのはキリストのからだ、神の家族、聖なる生きた建物と教えてきて、ここでは教会が色とりどりに鮮やかに描き出された神の作品だと言っているのです。Ⅰコリント12章では教会の多様さを示すのに「キリストの体の各器官」を用いましたが、ここでは教会というものが、一人一人違いを持つ者たちが集められて描き出される、鮮やかで色とりどりで豊かな神の知恵の現れ、神の作品だというのです。
当時のエペソ教会に異邦人がいてユダヤ人がいて、ヘブライ語を話すユダヤ人がいてギリシャ語を話すユダヤ人がいて、割礼を受けている異邦人がいて割礼を受けていない異邦人がいて、自由人がいて奴隷がいて、やもめがいてみなしごがいて、取税人がいて神殿娼婦がいて、およそこの地上で一つに集められることのないはずの互いに遠く隔たった人々が一つにされ、そこで一つのからだとして、一つ民として、一つの生きた聖なる宮としてキリストと共に生き、また互いがキリストにあって共に生きている。これこそが神の豊かな作品だと。では私たちの教会はどうでしょうか? 私たちの教会もこの豊かさ、この色とりどりの鮮やかさにますますあずかっていくものとならせていただきたいと願うのです。
3.測り知れない富
その上で、ここでパウロが何よりも驚いていることは何か。もう一度8節。「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるため」。ここでパウロは福音を「キリストの測り知れない富」と言います。「無尽蔵の富」とも訳されます。エペソ書らしいことば遣いの一つです。ここから思いつくのは次回取り上げる、そして今年の主題聖句でもある19節の「人知をはるかに超えたキリストの愛」でしょう。測り知れず、知り尽くし得ず、人間のことばでは表現し尽くせない「奥義」そのもの。それを「測り知れないから測れない」、「知り尽くせないから知らない」、「言い表しきれないから言わない」とせず、福音の驚きに圧倒され、しかも人間の限界を知りつつ、それでも何とか伝えたい、伝えずにおれないと突き動かされるように語り、書いているのです。
事実、パウロはすでに1章18節、19節でこう祈りました。「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」。また2章7節で私たちが恵みによって救われたのは「キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すため」と言いました。測り知れないキリストの富そのものが、喜びの知らせとして伝えられることを求めている。喜びの知らせからもっとも遠いところにいる人々にこそ伝えられることを求めている。彼らは囲いの外の人たちだ、聞く耳を持たないし、聞くつもりもないし、伝えても分からない人々だと決めつけてしまいそうになる人々にこそ伝えられるべき福音として、宣べ伝える人を召し、遣わすのです。
こうしてみると1節で「あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています」と言い、8節で「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」と呼び、異邦人宣教の働きを2節で「私に与えられた神の恵みの努め」と言う意味が、強く迫ってくるのではないでしょうか。ここにはパウロを生かし、動かしている彼の「召命」観がはっきりと示されています。彼は自分が何ものであり、誰によって召され、何を託され、何のために生きているかを驚きつつもはっきり受け取っています。キリストに捕らえられた囚人、最も小さい者、しかしキリストに捕らえられた者として測り知れないほどの福音の富、人知をはるかに超えたキリストの愛、この福音を託され、愛を知らず、喜びを知らず、キリストから遠く離れたところで死んだようになって生きている人々に届けるために生きている。
だからこそ13節でこう言えるのです。「ですから私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようにお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです」。文字通り彼はいま福音のために獄に繋がれるという大きな苦難の中にいる。しかし彼は落胆していません。むしろ伝わってくるのは生き生きと福音に生きている姿です。
この姿に私たちも教えられ、励ましを受けます。「なぜこの私が救われたのか」、「でも今確かにキリストにあって生きている。生かされている」。驚くばかりの恵みです。私たちを生かし動かす根本的なもの、私たちが主のために生きられる喜びと情熱の源、それはキリストの測り知れない富、人知をはるかに超えたキリストの愛です。この福音の豊かさ、キリストの愛に生き生かされる私たちでありたい。「もうわかった」と止まる歩みでなく、キリストの測り知れない富を知っていく歩みを続けてまいりましょう。