多磨教会の歓迎礼拝にようこそお出でくださいました。毎週日曜日の礼拝もどなたでも歓迎する礼拝ですが、特にはじめて教会に足を運ばれる方、はじめて聖書の言葉に触れる方にも、聖書が語る良き知らせ、喜びの知らせをお届けしたいと願って、教会の皆で備えて来た礼拝です。その意味では教会挙げて皆さんのお越しを歓迎しますが、何と言っても主イエス・キリストがあなたを歓迎しておられます。その喜びにぜひあずかっていただきたいと願っています。
「信じること、生きること」というテーマを掲げて、6月に第一回の礼拝をささげました。「なんのために生きるのか」、人生の目的ということを聖書から考えました。第二回となる今朝は「それでも生きる」とタイトルを掲げています。聖書のことばを通して、「生きる」という営みについてご一緒に考えてみたいと思います。皆さんお一人一人に神の大いなる祝福がありますように
1.「生きる」ことへの肯定
いきなり宣伝で恐縮ですが、昨年6月にいのちのことば社というキリスト教出版社から『信じること、生きること 大人になった「僕」が、10代の「僕」に伝えたいこと』という小さな本を出しました。一年間、雑誌に連載したものを本にまとめたものです。生きづらさを抱え、生き悩む若い人たちに、生きることへのささやかな励ましになれたらと願って書きました。とはいえ50代後半のおじさんの言葉など若い人々に届くのかという不安もあり、連載当時は大学に務めておりましたので、毎回の原稿を三人の学生さんに事前に読んでコメントしてもらい、それでまた書き直すという作業を繰り返しました。そのやりとりを通じても感じたのが、若い人たちにとって生きることはとても難しく、重たいものだという現実です。いつも時代もそうだったと言えるかもしれません。むしろ今は社会が便利になり、快適になり、昔よりも生きやすい時代なのでは、と思うかもしれません。確かに学生たちを見ていても、みな未来が広がっていて、キラキラ輝いていて、賜物豊かな可能性の塊のように映ります。しかし個人的に話を聞いてみても、驚くほど自己肯定感が低く、将来への展望も描けず、生きづらさを抱え込んでいるのでした。
聖書は「生きる」ことを肯定します。しかしそれはまったく単純素朴に、あっけらかんと、簡単に「生きる」ことを捉えているわけではありません。生きることは時にとても苦しいことであり、辛いことであり、重荷を背負って歩み続けなければならないものだということを聖書は知っています。なぜなら神ご自身が、私たちの生きる苦しみや悩みを深くご存じで、それに寄り添ってくださるお方だからです。そしてこの神を信じ、この神にあって生きた人々もまた、それゆえに新たな人生の重荷を背負い込み、忍耐しながら生きた人々でもあったのです。しかし聖書は、そして聖書を通して私たちに語りかけられる神は、「生きるって大変だね」、「生きるってしんどいね」と言った、共感しているようでいて実は遠い所から客観的に眺めるような言葉を語ることはしません。確かに生きることは大変なこと。しんどいこと。でもそう言って終わりではない。その上で「それでも生きよ」と私たちに語りかけ、「それでも生きる」と私たちに言わしめる力をもって臨まれるのです。
2.パウロのことばに聞く
今日開かれている聖書の言葉は、主イエスによって救われ、主イエスの福音を宣べ伝えるようになった伝道者パウロの言葉です。「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています」。
ここに語られているのは、主イエス・キリストのために生きるように召された「使徒」という務めを巡る言葉です。「使徒」、英語で「アポストル」と言いますが、これは主イエスに付き従った十二人の弟子を指す言葉で、そこから「神から遣わされた者」、「神から全権を委任された人」を意味するようになりました。パウロという人はもともとはユダヤ教のラビで、キリスト教に敵対し、クリスチャンを迫害する人物でした。ところがそのパウロが復活のイエス・キリストと出会って大回心を果たし、それまでの人生とは真逆の、キリストの福音を宣べ伝える伝道者になったという人物です。そしてパウロは自分にはユダヤ人以外の人々に福音を伝える使命が与えられ、自分は異邦人のための「使徒」だという自覚に生きるようになった人です。そしてそれからの生涯をまさに福音のために生き抜いた人でした。今日のキリスト教はイエス・キリストはもちろんのこと、このパウロ抜きには成り立ち得なかったと言ってもよい。実際、今日のコリント人への手紙も含めて、新約聖書にはパウロの書き送った手紙が13通収められています。
そのパウロが今日の言葉を手紙に書き綴ったのですが、それには理由がありました。当時、コリントの教会にはパウロが使徒であるということを認めない人々がいました。十二弟子が使徒なのはよく分かる。しかしパウロが使徒を自称するのは受け入れられない。そもそも彼は迫害者だったではないか。それなのに自分も使徒だと言うなど図々しい話であって、自分たちはそんなことは認められないと言っていたのです。そういう人々の声に対して、パウロが福音のために召された使徒であることを証しするために記したのが今日の言葉なのです。ですからこれらの言葉は、論敵の言っていたであろう言葉を補って読むと分かりやすいでしょう。「彼は人をだます偽善者だ」、「彼はまったく無名で取るに足らない者ではないか」、「彼は死にかけているではないか」、「彼は人々から追い回され懲らしめられているではないか」、「彼の姿は悲惨そのものではないか」、「彼は貧しいではないか」、「彼は何も持っていないではないか」等々。パウロはこういう言葉にずっとさらされてきたのでした。
こういう言葉を聞いて、皆さんの中に「クリスチャンとして生きるというのはけっこう大変なことだな。それなら勘弁してほしいな」と思われる方があるかもしれません。「こういうガチな生き方になってしまうから、宗教は恐ろしい」と感じる方もあるかもしれません。それに対して「いやいや、そんなことはありません。ここまでの生き方をするのはパウロぐらいですから、大丈夫です」、「パウロみたいなガチな人がたまに現れるので困っているのです。ここの教会はもっと普通ですから大丈夫です」、「これは松竹梅の松コースで、竹コースや梅コースもあります」、「ゆるーく生きるコースも用意してあります」と申し上げるか。私はそのように申し上げるつもりはありません。むしろ思いっきり振り切って、キリストを信じる時に生き方が変わる。「それでも生きる」という生き方に変えられる。そう申し上げたいのです。
3.それでも生きる
実は福音のために召されたパウロも、キリストの使徒として生きる上で少々弱気になることもありました。ピリピ人への手紙1章23節から25節でこう言います。「私は、この二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています」。キリストのため、福音のためという人生を生きながら、そのゆえに人々から嘲られ、疎んじられ、苦労と重荷を背負う人生を生きるパウロ。「彼は人をだます偽善者だ」、「彼はまったく無名で取るに足らない者ではないか」、「彼は死にかけているではないか」、「彼は人々から追い回され懲らしめられているではないか」、「彼の姿は悲惨そのものではないか」、「彼は貧しいではないか」、「彼は何も持っていないではないか」と言われ放題のパウロ。さすがも彼も「世を去ってキリストともにいること」を願う心がある。けれども彼はそれよりも「生きること」を選ぶ。「この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています」と。自分は福音のために、なお生き続けるほうを選ぶというのです。
こういう生き方は、他人からはなかなか理解されません。むしろちょっと行き過ぎ、ちょっとやり過ぎだと。しかし当のパウロはどうだったか。彼は毎日を必死の覚悟で生きていたのか、毎日を殉教の精神で生きていたのか。やせ我慢をしながら生きていたのか。そうではないのです。周囲の人々は彼の生き方を見て、「あれはやばい」、「あの生き方は怖い」というかもしれない。しかし当のパウロは言うのです。「私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られていないようでも、よく知られており、死にかけているようでも、見よ、生きており、懲らしめられているようでも、殺されておらず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています」。特に私がいつも心に響くのは「死にかけているようでも、見よ、生きている」。「貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っている」。という言葉です。
確かに神を信じていても苦難に遭う。どうしてと思われるかもしれません。確かに神を信じていても重い病に罹る。神を信じていても家族の中に深刻な問題が起こる。無理難題が次々と押し寄せて来て、もう万策尽きた、もうこれ以上進めない。もうお手上げた、というところにまで追い込まれる時がある。もう終わらせてしまおうか、いっそ楽になれるなら、天国に行ってしまおうか、そう思っても致し方ないようなところにまで行き着くことがある。でも聖書は言うのです。「それでも生きよ」と、そして私たちに言わしめるのです。「それでも生きる」と。
4.新しい生の始まり
なぜそうまでして神は「生きよ」と言われるのか。なぜそうまでして私は「生きなければならないのか」。私の生きるつらさを分かっているのか。そう神に訴えたくなるときがある。しかし聖書を通して神は言われるのです。「それでも生きよ」と。なぜならこのいのちは神が賜ったいのちだからです。そしていのちの始まりと終わりは神の御手の中にある。私たちは神がくださったいのちを、神がよしとされる時まで、生かされたいのちを生き切るようにと召されているのです。それは単に難行苦行の人生なのではない。その人生に神がずっと寄り添ってくださり、その人生の旅路において私の人生を、他ならぬ私の人生として生き切らせてくださる。全うさせてくださる。福音にはそのように私たちを生かす力があるのです。
今年の秋に公開される「ボンヘッファー」という映画があります。夏に試写会があって一足先に見てきたのですが、ぜひ皆さんにも観ていただきたい作品です。ボンヘッファーというのは、実在したドイツの牧師、神学者です。ディートリヒ・ボンヘッファー。実は今年が彼の没後80年に当たるのです。彼はドイツの牧師、神学者として若くして大変将来を嘱望された人物でした。しかし祖国ドイツがヒトラー政権成立によって独裁政治のもとにおかれ、ユダヤ人が迫害され、教会の信仰も脅かされるに至って、ナチ政権に抵抗する運動に参加します。そしてついにはヒトラー暗殺計画に連なった容疑で逮捕され、最後はフロッセンビュルクの収容所で絞首刑に処せられます。1945年4月8日。ヒトラー政権崩壊のわずか三週間前、そしてボンヘッファーが39歳の時の出来事です。彼は決して死に急いだ人ではありません。死に魅せられたヒロイズムに支配されていたのでもありません。早く戦争を終結させ、戦後のヨーロッパ社会の中でドイツがどのように歩むべきかを考え、連合国側や中立国と交渉を重ね、カトリックの教皇やイギリスのカンタベリー大主教とも連絡を取り合って外交の努力を重ねた人でした。しかしユダヤ人迫害の現実を目の当たりにしたときに、彼は一つの決心をします。道を車が暴走している。道行く人々が次々となぎ倒されている。そのような場に出くわしたときにキリスト者がすべきことは何か。道行く人に警告すること、倒れた人を介助すること、それ以上に暴走する車を止めて、運転手を引きずり下ろすことだと。それは彼の信仰の告白、つまり信仰の生き方の表れでした。その結果、彼は捕らえられて絞首刑に行き着くのですが、死の直前に書き残した手紙には、こう記されていたと言います。「私にとって、肉体の死は終わりではなく、新しい生の始まりだ」と。ここに「それでも生きる」の究極の姿があると言えるでしょう。人をそのように生かすキリストのいのちを受け取って、生かされるいのちを生き切る人生を生きたいと願います。それは決して難しいことではない。キリストが私たちをとらえ、そのいのちに生かしてくださるのです。
「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」