8月も第三週を迎えています。まだまだ暑さの続く日々ですが、そんな中にも少しずつ空気が変わって、秋の気配が近づいていることを感じる今日この頃です。収穫の秋に期待しながら、主にある歩みを続けてまいりましょう。愛する皆さんの上に主の豊かな祝福がありますように。
1.主イエスを恐れる人
マルコ福音書が伝える主イエス・キリストの十字架への道行きが、いよいよそのクライマックスに辿り着こうとしています。ゲッセマネの園での逮捕、大祭司カヤパのもとでの夜通しの取り調べ、夜明けになっての総督ピラトのもとでの裁判、そして15節。「それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスをむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した」。こうして死刑が確定した主イエスに対して、兵士たちの虐待とも言える仕打ちが始まります。16節から20節。「兵士たちは、イエスを中庭に、すなわち、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、それから、 『ユダヤ人の王様、万歳』と叫んで敬礼し始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。彼らはイエスをからかってから、紫の衣を脱がせて、元の衣を着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した」。
主イエスの十字架の場面は、どこを読んでもいたたまれなくなる、直視できないほどの酷たらしく痛ましい光景が続きますが、しかしそこから目を逸らさずにしっかりとこの出来事を見届けたいと思います。そのように思い定めてこの箇所を読むとき、この箇所で気づかされることがあります。すなわち、ここでローマの兵士たちは、あらゆる面で圧倒的に優位な立場で主イエスを痛めつけていながら、しかし彼らの心の内を支配していたのは、言いようのない主イエスに対する「恐れ」の感情だったのではないかと言うことです。圧倒的な暴力を加えながら、その暴力に対してまったく抵抗しようとなさらない主イエスの姿に、底知れぬ恐れを感じていたのではないか。紫の衣は王の装束を、茨の冠は王冠を、そして「ユダヤ人の王様、万歳」の叫びは文字通り主イエスを揶揄した嘲りなのですが、しかしそこには、素のままの主イエスを痛めつけることに何かしらのためらいを覚える彼らの恐れがあったのではないか。それで紫の衣を着せ、茨の冠をかぶらせ、葦の棒で頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝み、からかいながらも、しかし彼らの中にある恐れを拭い去ることはできなかったのではないかとさえ思います。ヨハネの手紙一4章18節に「全き愛は恐れを締め出す」とありますが、非暴力の道こそ、相手に恐れを抱かせるものだということを、この主イエスのお姿が雄弁に物語っていると言えるでしょう。
兵士たちによってむち打たれ、茨の冠をかぶせられ、痛めつけられ、唾をかけられ、嘲られ、傷だらけの主イエスがいよいよ十字架刑の執行される忌まわしき刑場、ゴルゴダの丘へと連れて行かれます。過越の祭りのために各地から集まって来た多くの巡礼者も加わって多くの人々で溢れかえる都エルサレム。そこで多くの人々の好奇と蔑みの眼差し、嘲りと罵りの罵声の中を、十字架を背負わされた主イエスがローマ兵士にせき立てられるようにして町の街路を進んでいく。今日では「悲しみの道」(ヴィァ・ドロロサ)と呼ばれる道行きです。
2.十字架を背負う人
そこでひとりの人物がこの出来事の真ん中に引っ張り出されます。21節。「兵士たちは通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスとの父で、田舎から来ていた」。彼の名は「シモン」、「クレネ人」と紹介されます。クレネとは今の北アフリカの周辺の地域を指すと言われます。シモンは恐らく熱心なユダヤ教徒で、過越の祭りを都で迎えるためにはるばる遠い道のりを巡礼の旅を続けてようやくエルサレムに到着したのでしょう。ところが都に着いてみると、町中が祭りの華やかさとはかけ離れた物々しい雰囲気に包まれている。ただでさえ祭りで混み合うエルサレムの通りがおびただしい群衆や兵士たちで溢れています。見るとその群衆の中心には、頭にはいばらの冠、背中には鞭打ちの傷も生々しく、足を引きずるように十字架の横木を背負わされて進む主イエスのお姿がありました。そのあまりの衰弱ぶりに十字架を背負うのはもはや無理なのは誰の目にも明らかです。横目でちらりとその様子をうかがうと、先を急ごうとしていたかもしれない彼とこの犯罪人に付きそうローマ兵と目が合う。一瞬目をそらしても後の祭り、兵士たちはシモンに目を留めると、「おまえが代わりにこの十字架を担げ」と有無を言わさず彼を通りの真ん中に引きずり出し、文字通り「無理やり」背負わせたのです。こうして、何の因果かクレネ人シモンは、死刑囚イエスの肩代わりに十字架を担いで町中を練り歩くという、まことに恥ずかしい、不名誉な役割を与えられてしまったのでした。
この時、シモンはどんな気持ちで主イエスの後ろ姿を見、この十字架を背負ったのでしょうか。人々のあざけりと罵声の中を、黙々と進んで行かれる後ろ姿に、何を思ったのでしょうか。どうしてこんな恥ずかしい真似をさせられるのか。なぜこんな目に会わなければならないのか。どうして自分がよりによって死刑囚の代わりに十字架を背負って、衆人環視の中を歩かなければならないのか。そもそもいったいこの死刑囚は誰なんだ。主イエスの後ろ姿を見ながらゴルゴタへの道を歩くシモンの心中には、恐らく様々な思いが行き交っていたのではないか。そして恐らく彼は、ゴルゴダに着いて、十字架に釘打たれ、磔にされる主イエスのお姿を見届けたことでしょう。そこで十字架の主イエスの姿を見て、十字架上で語られた主イエスの言葉を聴いて、一体彼は何を感じ取ったのでしょうか。
聖書はこのクレネ人シモンのその後について多くを語りません。しかしながら彼についての幾つかの小さな、それでいて貴重な証言を残しています。まず注目したいのは、21節でシモンのことが「アレクサンドロとルフォスの父」と記されていることです。マルコ福音書がこのように紹介されるということは、「アレクサンドロとルフォス」という名前を出せば、当時の教会の人々は「ああ、彼らの父親か」と分かったということを意味します。この福音書が読まれた時代の教会において、このシモンの息子たちはよく知られた人々であったということでしょう。 また使徒の働き13章1節にはこう記されています。「さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた」。ここで注目したいのが「ニゲルと呼ばれるシメオン」という名前です。「ニゲル」とはいわゆる「黒人」を指す「ニグロ」と関わる言葉で、アフリカ生まれの肌の黒さからそう呼ばれたのでしょう。「シメオン」は「シモン」と同じ名前です。つまりアフリカ生まれの肌の黒いシモンと言うことになる。さらに続くルキオも「クレネ人」と紹介されていることも、これを補強する情報です。さらにローマ書16章1節以下で使徒パウロがローマ教会のメンバーたちの名を挙げてあいさつを書き送っていますが、その13節にこうあります。「主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく」。この「ルフォス」は、クレネ人シモンの息子の「ルフォス」のことであっただろうと考えられており、またパウロがルフォスの母親、つまりシモンの妻のことを「彼と私の母」とまで呼ぶことから、そこには主にある深い交わりがあったことが分かります。
これらの断片的な記録や証言を付き合わせて考えてみると、そこに一つの事実が浮かび上がってきます。主イエスがゴルゴタの丘で十字架に付けられるあの日、偶然のようにその場に出くわし、そしてむりやりに主イエスの十字架を担うはめになったあのクレネ人シオンが、この主イエス・キリストの出会いを一つの契機として、その後、どのような経緯を経たかは定かではありませんが、それでも主イエスを信じて、救いに導かれ、後にアンテオケ教会で「預言者、教師」として奉仕するほどになり、彼の妻も二人の息子アレクサンドルとルフォスもローマ教会で中心的に仕える人々になっていたという事実です。
3.主イエスに従う歩みを
この朝、私たちは十字架を背負って主イエスについて行くクレネ人シモンの姿を、しっかりとこの目に焼き付けておきたいと思います。かつて主イエスはマルコ8章34節で、ペテロの「あなたはキリストです」との信仰告白を受けて、次のように弟子たちに言われました。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」。シモンは自分から主イエスに従って行きたいと願ったわけではない。思いがけず十字架を背負う主イエスと出会ってしまった。ただそれだけなのです。それは彼にとって望んだことでなく、名誉なことでもなく、むしろ恥ずべき役回りでした。しかし彼はそれを拒めない。無理やりに背負わされた十字架です。しかしそうやって意味も分からず、恥ずかしさの中で、ゴルゴタに向かう主イエスのあとについて嘲りと蔑みの只中の道を歩きながら、彼の中に様々な思いが刻まれていったことでしょう。そしてそれらの断片のような思いの一つ一つが、やがて彼の中で一つに結び合わされていくようになる。あの時には分からなかった十字架の意味がやがて明らかになっていく。そしてあの十字架の意味が本当にわかった時、彼の人生は変えられていった。もはや主イエスの十字架を恥じる者ではなく、十字架の主イエス・キリストに従う者と変えられていったのでしょう。
ヘブル書13章12節、13節にこう記されます。「それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか」。この招きを今朝、私たちも、受け取っています。主イエスの負われた十字架を避け、重荷を逃れて歩む人生ではなく、むしろ強いられて背負わされたような十字架であったとしても、そこに強いられた恵みが確かにあることを信じて、一歩一歩進んでまいりたいと願います。その歩みの途上において十字架の重みを感じてこそ、私たちが確かに主の弟子であるという事実を確かめることができるのです。