去る5月11日の信徒懇談会で「多磨教会の今後の形成について」と題して発題しました。そこで次の四つの「整える」を挙げました。第一に「礼拝を整える」、第二に「会堂を整える」、第三に「伝道の態勢を整える」、そして第四に「教会の道筋を整える」です。そこで数回にわたって「礼拝を整える」ことについて記したいと思います。

懇談会の折にも触れたことですが、多磨教会の礼拝式順はコロナ前から現在までの数年間に、実に七回の変更がありました。式順の短縮や入れ替え制の二部礼拝、オンラインでの礼拝など数々の対応を余儀なくされた中でのご苦労を週報を捲りながら感じ取りました。そしてコロナ前の礼拝の式順の充実ぶりや、現在の式順の特徴を自分なりに理解し整理するよい機会となりました。

その上でこの機会にあらためて、教会のいのちである「礼拝」について考えたいと願っています。「礼拝を整える」と言うとき、具体的にはそこにいくつものテーマを挙げることができます。「そもそも礼拝とは何か」を聖書から、教会の歴史から学ぶこと、学んだことを今の私たちの教会にどのように活かすかを考えること、礼拝を構成する一つ一つの要素について学ぶこと、それらをふわさしい仕方で礼拝全体の中に位置づけること、そうして組み立てられた礼拝の全体の流れや構造を学ぶこと、礼拝に関わる言葉を整えること、礼拝奉仕の内容を確認すること、その奉仕に従事する奉仕者たちが備えられること、礼拝者としてどのように礼拝に参与するかを学ぶこと、信徒のみならず新しく集う方々への配慮について考えること等々。これだけでも一冊の書物になるぐらいに、礼拝について考えるべきことは数多くあります。

いずれにしてもまず大切にしたいのは、「今、ここでしていることの意味は何か」を意識的・自覚的に受け取り、いつも新しい思いで礼拝に向けて自らを整えるという姿勢です。そうした自覚的な礼拝の姿勢が整えられる時、礼拝はさらに生きたものとなるでしょう。