雪が解けた先週火曜日の朝、麹町にある女子学院の「信教の自由を守る特別礼拝」の説教奉仕に出かけました。長老派の宣教師ミセス・カロザースによって1870年に創立された中高一貫のキリスト教主義学校で、初代院長は矯風会の働きで知られる矢島楫子(かじこ)という伝統ある学び舎です。8時15分からの礼拝で講堂一杯に集まった生徒さんたちに次のようなお話しをしました。

「『ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた』(ダニエル6:10-11)。皆さんにぜひ心に留めていただきたいのが、『いつものとおり』神への礼拝をささげるダニエルの姿です。いつものとおりの淡々とした、しかし動じることのない、落ち着いた姿、平静さです。そのような『いつも』を生きる姿勢、日常を大切に生きる姿勢を大切にしたいと思うのです。

『いざとなったらどうする』という不安をあおる言葉が私たちの周りに増えています。『いざ』に対抗するために必要なのは、さらなる『いざ』という力み勇んだ姿であるよりも、いつもの落ち着いた姿にあるでしょう。しかしその『いつも』は、単なる惰性の『いつも』、漫然とした『いつも』、無自覚な『いつも』ではない。そうではなくて、日常の生活を自覚的に、意識的に、主体的に、地に足をつけて生きる『いつも』です。そうやっていつもの日常を生きることで、私たちは物事を見つめる自分なりの視座を身につけ、そこから揺れ動く時代や社会の中で、透徹したまなざしをもって見るべきものを見、聴くべき声に耳を傾け、発するべき声を発する思想とことばを身に着けることができるのではないでしょうか」。

私たちにとっても今日の礼拝が何よりの日常であること、しかし一度きりの礼拝であることを覚えます。