「お茶の水聖書学院」(OBI)で講義を担当しています。毎週金曜日の午後1時半から3時まで、教会二階の書斎からzoomを使ってのオンライン授業なので遠方からの受講もでき、札幌や神戸の受講生も含め、シニア世代の方々を中心に毎回10名ほどの方々が熱心に学んでおられます。
2020年から22年度までは「神学入門」の授業を担当しましたが、2025年度からは「組織神学」という科目でキリスト教教理の全体を二年かけて学ぶことになり、今年は「神学するとはどういうことか」から始まって、「教会論」、「啓示論・聖書論」、「神論」、「人間論」を扱い、2026年度は「キリスト論」、「聖霊論・救済論」、「教会論」、「終末論」、「宣教論」で締め括るという計画です。秋学期の中心は「神論」の中の「三位一体論」でした。御父と御子と御霊の三つで一つなる神を信じることは、私たちの信仰の屋台骨のようなものです。しかし同時にこれは信仰の「奥義」に関わるもので、私たちの理性で捉え尽くすことのできない真理です。ですから聖書に丁寧に聴きつつ、教会が歴史の中で信じ告白してきた神学の歴史から謙虚に学ぶ姿勢を心がけてきました。
そこで繰り返し強調したのが、神の存在の在り様としての「三位一体」、これを聖書から教えられて来た教会が整えた教理としての「三位一体論」、そしてこれに基づいて私たち信仰者が事柄を捉え、考える際の「三位一体論的」な思考ということの関係性と区別性です。これまで神学校でも学生たちに言い続けたのが「神学的知識を蓄える以上に神学的思考を身に着けるが大切だ」ということでした。「神学的に事柄を捉えて考えること」、それが信仰者にとって、とりわけ教会の神学に責任を持つ牧師に求められることであり、「神学的に考える」とはすなわち「三位一体論的に考える」ことです。次回以降このテーマをもう少し記したいと思います。