クリスマスおめでとうございます。今年の降誕節を多磨教会の皆さんとともに祝うことのできる幸いを思います。今日のクリスマス礼拝ではヨハネの手紙第一4章の「愛の賛歌」を取り上げました。これと並んで心に留める御言葉が、コリント人への手紙第一13章の「愛の章」です。

この箇所を説き明かしたディートリヒ・ボンヘッファーの1934年の説教の中に、次のような言葉がありました。「信仰と希望とは、いつまでも絶えることがない。信仰なしに、あるいは希望なしに、愛を持つことができるとは決して考えないようにしてもらいたい。信仰のない愛は、水源のない川の流れのようなものである。それはまさに、キリストなしに愛をもつことができると主張するようなものである。信仰のみが神の前でわれわれを義とするのであり、希望がわれわれを未来に向けさせ、愛が完成させるのである。信仰と希望とは、愛に姿をかえられて、永遠の中に入っていく。終わりにはいっさいのものが愛とならなければならない。完成とは、愛のことである」(『主のよき力に守られて ボンヘッファー一日一章』村椿嘉信訳、新教出版社,1986年)。

こうして「愛」の至高性を語った彼は、さらにこう続けます。「完成とは、愛のことである。しかしながら、この世における完成のしるしは十字架である。十字架は、この世で成就した愛が歩んで行かなければならない道であり、繰り返し歩んで行くことになる道である」。

愛による完成に向かう道筋は十字架の歩みです。それはちょうどクリスマスから始まり、受難と復活に向かう主イエスの人としての歩みです。私たちが新しく歩み出す道も、主イエスの足跡に従って苦難から栄光へと繋がる道です。この道を進むには信仰が必要であり、希望が必要であり、そして何といっても愛が必要です。その愛を十分に受け取るクリスマスでありますように。