拙著『平和へのはじめの一歩』(いのちのことば社)に記した憂いを強く意識されられる出来事がありました。新しい首相が先の国会予算委員会の質疑で、中国が台湾に武力を行使した場合は有事法制が定めた「存立危機事態」に該当するという答弁をしたというものです。いわゆる「台湾有事」を想定した発言です。
「有事法制」を含む安保法制全体が憲法9条の解釈改憲と言われた出来事にもとづくものですが、右派的な現政権は早くも武器輸出(「移転」という言い換え)や非核三原則の撤廃をほのめかすなど前のめりな姿勢を強めています。勢いに任せた迂闊な発言が国際世論にどのような影響をもたらすか、主権国家同士の機微に触れる事柄に知恵と言葉を尽くしながら平和を作りを続けて行くのが、「政治」の姿のはずですが、昨今の「虚勢の言葉の先行」、「言ったもの勝ち」の風潮がこのような仕方で表れることに憂慮を覚えます。
そもそも「台湾有事」と固有名詞で名付け、繰り返し言い続けるうちに、実際にそのような有事が迫っているかのような感覚が私たちの中に根づいていってしまう。「虚構の言葉」が意図的に作り出され繰り返されることで、その「言葉」に「現実」が引き寄せられ、やがてそれが「現実」と認識されてしまう。はじめに
「脅威論」ありきで立論され、それを回避するための外交をはじめとする種々の手段が排除されて「軍備力強化」に一本化され、あたかもそれ以外の選択肢がないかのように単純化される。「いきった」虚勢の言葉によってこうして脅威論は現実の脅威に変化し、それによって実際に相手を脅威だと名指しすることで、相手を脅威としてしまうことが起こっているのではないでしょうか。
「虚勢の言葉を先行させない」ことは、言葉を預かる人間の大事な責任です。そのような言葉についての感覚を意識し続けたいと思います。